東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2011年8月31日水曜日

真宗ジュニアアート展

真宗大谷派 日豊教区 大分市組では青少幼年教化事業として、真宗ジュニアアート展を開催しています。
次世代を担う若い世代に少しでも仏縁に触れていただきたいという願いのもとに開催いたしました。
今回は、「仏さま」「ともだち」「お寺」「お坊さん」「いのち」「平和」「絆(きずな)」というテーマから好きなものを選んでいただき、未就学児から小学生、中高生から約80点以上の作品の応募がありました。
どの作品も力作ぞろいで子どもたちの視点に感動をいただきました。
展示場所は、大分市末広町の光西寺さん山門横の築地塀です。
残り一週間くらいの展示となりました。
是非、ご覧いただきたいと思います。
作品①
作品②
作品③
作品④
作品⑤
作品⑥ 
作品⑦
作品⑧
作品⑨ 
作品⑩ 
展示の様子①
展示の様子②
光西寺さんの掲示板

2011年8月15日月曜日

慰霊と鎮魂

今日は66回目の「終戦記念日」です。
全国各地、様々なかたちで、この日が過ごされるんだと思います。
毎年注目されるのは、「靖国神社」への参拝です。
私たち真宗教団は、このことについて「靖国問題」として、参拝についての反対の姿勢ということに留まらず、その課題性を訴え続けてきました。
このことについては、別の機会に触れてみたいと思いますが、今日は「慰霊」と「鎮魂」ということについて、考えてみます。

今日はおそらく、戦死者への追悼と平和を祈念する、行事・集会等が開かれることだと思います。
そういった行事・集会のときに「慰霊」という言葉を見聞きします。
戦没者に限らず、地域の盆行事として新盆の方々の「慰霊祭」などという言葉も使われます。
「慰霊」と同様に「鎮魂」という言葉もよく使われてます。
「慰霊」や「鎮魂」、どういう意味があるのでしょうか?

「慰霊」
「霊を慰める」ということですね。
前ブログにて、仏教では「霊魂」ということを言わないと申しましたが、仮に死者の扱いを霊と受け止めたとして考えてみましょう。
「慰霊」ということは、死者を慰めてあげないといけない方として出あう向き合い方(お参りの仕方)ですよね。
慰めてあげなければいけない立場の方とは、どんな方でどこにいらっしゃるのでしょうか?

「鎮魂」
「魂を鎮める」ということです。
当然仏教の立場からすると、死者を魂と扱うのも不適切ですが、あえて魂ということで考えてみます。
鎮めるっていうことは、「おとなしくしておいてください」ということです。
つまり「祟らないでください」ということです。
亡くなった方が生き残った私たちに「悪いお仕置き」をしないように、ちゃんとお参りしておきますという向き合い方(お参りの仕方)です。
亡くなった方は私たちに祟ったりするような方なのでしょうか?

仏教の教えに照らし合わせると、亡くなった方は「仏」として出あわさせていただきます。
私たちの人生に、人として大切に生きる力、輝きをもって生きる力を与えてくださるはたらきとして向き合うべきではないでしょうか。
亡くなった方は、私たちが慰めなければいけないような惨(みじ)めな方にしたくはありません。
私たちが「おとなしくしておいてください」とお願いしなければならないような、そんな鬼のような方にしたくありません。
亡くなった方を「惨めな方」や「鬼のような方」に見ていくということは、間違いなく死を迎える私たちの行き先もそういう方々のいる世界となります。
そんな世界へ向かって生きる人生なんて、何の喜びや希望も生まれないと思います。
人生の行き着くところが「惨めで生き残った者に祟ってやろうとする世界」でいいのでしょうか。
亡くなった方をそのような世界に押し込むのは失礼だと思います。

仏教が人生を終えた世界として「お浄土」という世界を示していることの意味は大きいと思います。
苦悩し混迷をし続ける私たち人間の行き先、方向に「お浄土」が用意されているからこそ、生きる喜びと希望を持つことができるのです。
仏教の意味、宗教の意味というのはそういうことだと思います。
「お浄土があるのか?」とか、「仏がいるのか?」ということを考えるのは愚問です。
お浄土とか仏という「いのちの物語」を示し、そのことをとおして人生が問われるということです。
今まさに、苦悩して惨めであり、無意識に他人を傷つける鬼として生きるのは私たちであります。
その私を自覚し、私の人生は「お浄土」へと向っていくことが、まさに「往生」であります。
拙ブログタイトルの「往生のススメ」ということは、浄土に向かって往く人生をススメるということです。
向かう先がお浄土だからこそ、人生が深まっていくのです。

死者とどのように向き合うか?ということは、同時にどのように生きていくかということを問う問題に繋がっていきます。

「慰霊」でもなく「鎮魂」でもなく、謙虚に「感謝」と「尊敬」の思いで死者と向き合うべきではないでしょうか?

2011年8月12日金曜日

お盆の迎え火・送り火と「切籠」

お盆の時期です。
日本では一般的に、先祖供養をするための伝統的な仏教行事として定着しています。
各宗派というよりも、各地方によってその勤め方が様々に受け止められているようです。
今では8月のこの時期をお盆とすることが多いかと思いますが、本来は7月であるともいわれています。
各地方の勤め方について詳しく触れませんが、お盆の時期に先祖の霊が帰ってきて、お盆が終わったら霊を送るというというのが一般的な考え方かも知れません。

お盆とは正式には「盂蘭盆会」といいますが、『盂蘭盆経』というお経にその由来があるとされています。
「盂蘭盆」とはインドの言葉「ウランバナ」が音訳されたものです。
「ウランバナ」とは「倒懸」と訳されます。
「倒懸」とは逆さ吊りにされた状態のようにこの上ない苦しみをいいます。

『盂蘭盆経』の内容は次のようなことです。
お釈迦様の弟子の目連尊者が、餓鬼道に落ちて倒懸の苦しみを受けている母親を救う為に、お釈迦様の教えに聞き従って母親を救済したということです。

実はこの『盂蘭盆経』は中国で作られたものであり、ある意味で「偽経」ともいわれているお経であります。
ですから、極端な言い方をするとお盆は仏教とは関係ないという見方をする人もいます。
しかし、中国で作られようが、日本で作られようが、それなりに仏教の背景は持ち合わせているんだと思います。
ですから、本来の仏教の教えに照らし合わせてどう解釈するかが大切であります。
仏教でも各宗派によってその解釈は違うと思います。

今回はどう解釈すべきかということは、あえて避けますが、「霊を迎えて送る」ということについて述べたいと思います。

もともと仏教では「霊魂」というものを認めません。
「霊魂」は有るか無いかという議論がありますが、有る無しを議論すること自体が自我や我執の延長にあることです。
つまり仏教は「(諸法)無我」(執着を超えた世界)を説きます。
お釈迦様は「霊魂の存在は確かめる必要がない」と説かれ、有る無しで右往左往すること自体が無意味なこと、迷いを深めることと教えてくださっておられます。

仏教では、亡くなられた方は霊ではなく仏(迷いを超えた立場)となります。
お盆に先祖の霊を迎えて送るというのは、先祖に対して甚だ失礼な話だと思います。
あれだけ大切に思っていた先祖を迷った存在として扱い、離れ難いと思っていたのにたったお盆の数日間しか出あおうとしない行為です。
亡くなられた方は、仏として出あうべきです。
むしろ迷いのまっただ中にあるのは私たちであり、その私たちに寄り添いながら救済くださる大切なはたらきとして出あうべきです。
仏様は四六時中いつでもどこでも出あえる方です。

迎え火とは、「帰ってくるところはここですよ」という意味があります。
つまり「霊」だから迷ってるんです。
迷ってるから目印が必要なんです。

仏教の教えに照らし合わすと、多くの日本人が行っているお盆の過ごし方は仏教から逸脱していると思います。

この時期になると盆提灯を飾るということが行われますが、どういう意味があるのでしょうか。
一説では、迎え火と同様に提灯の灯りが死者の霊にとって目印になるからといわれています。
実は浄土真宗の正式なお荘厳としては、お盆には「切籠(切子灯籠)」という灯籠を下げます。
「切籠」とは、上部が八角形の火袋になっていて、下部に切紙の尾をつけた灯籠であります。
これは「倒懸」を表しているといわれます。
『盂蘭盆経』に、目連尊者の母親の倒懸が記されていますので、女性の方が逆さ吊りにされている姿を表しているのです。
下部の切紙が女性の人の髪だということです。
真宗大谷派の「切籠」
白・赤・紺で彩りされています
盆提灯の下部に垂れ下がった房も同様の意味があるのかもしれません。
灯籠、提灯に型の違いはあるものの、お盆に下げる意味は「倒懸」ということであります。
できる限り浄土真宗の方は提灯ではなく「切籠」を用いることをおすすめします。

2011年8月4日木曜日

第30回「みなみおおいた夏祭り」

先のブログにて告知していました第30回「みなみおおいた夏祭り」が7月23日(土)・24日(日)の2日間、大分市豊饒の南大分スポーツパークを会場にして開催されました。
今年は毎年心配になる天候面についても恵まれ(2日目に1時間ほど夕立に遭いましたが)、大きな事故もなく、第30回のにふさわしい盛大なお祭りとなりました。
会場内は約80店舗の夜店が出ます
今年も多くの来場者で賑わいました
1日目司会の本城みわさん(左)と2日目司会の立川朝湖さん(右)
そして両日司会のカボスひろし
立川朝湖さんと3ショット
以下祭りの様子を写真にて報告します。

1日目〈7月23日〉
◯健康促進委員
健康促進委員による準備体操
 ◯町内対抗玉入れ
南大分小学校区8町内による玉入れ大会
明磧チームが1位、2位を独占しました
 ◯開会式
開会式
県知事、市長は都合がつかず代理の方より祝辞をいただきました
テープカット(左)開会宣言(右)
開会宣言はは南大分青年クラブ会長の私がさせていただきました
◯南大分中学校吹奏楽部演奏
1年生主体で演奏しました
◯えのくま・ごとう幼稚園演技
えのくま幼稚園(左)和太鼓とダンス
ごとう幼稚園(右)マーチングバンド
◯町内子どもみこし
南大分各町内の子ども会の神輿巡行
南大分幼稚園も参加しました
◯CHIMO
大分のローカルアイドルグループ〈CHIMO〉のライブ
◯モーターパラグライダー
30回記念大会でサプライズ
モーターパラグライダーが6機が会場上空を飛びました
さらに、サプライズでお菓子がまかれました
 ◯フラハナウ・オ・ハル
フラダンス
◯港アケミ歌謡ショー
地元大分豊饒出身の演歌歌手港アケミさんの歌謡ショー
 ◯小潮太鼓
豊後潮太鼓のジュニア版太鼓チームです
◯ものまねショー
ケイスケさん
桑田佳祐のそっくりさん
星乃泉水さん
倖田來未などのものまねパフォーマンス
ケイスケさんと星乃泉水さん
◯お楽しみ抽選会
1等 iPad2
2等 ブルーレオレコーダー
3等 折りたたみ自転車
4等 マリングッズ
2日目〈7月24日〉
◯地震体験車
大分市消防局の地震体験車「じしんくん」
 ◯カボズひろしショー
みなみおおいた夏祭りといえばカボスひろし
大人気のカボスひろしお笑いライブ
カボスワールド全開
 ◯武術研究会MARS大分
中国武術の演技
 ◯似顔絵アーティスト 高橋博幸
歌いながら似顔絵を描くパホーマンス
当日は会場内でも個別に似顔絵の実演が行われました
 ◯ハウオリズ・マサコ・アケタ・フラスタジオ
フラダンス
 ◯サンバフレンズ・アレルイヤ
ブラジルサンバチーム
◯阿蘇野神社 神楽社
庄内神楽
◯ジャスミンジェナ
ベリーダンス
 ◯豊後潮太鼓
地元南大分の太鼓チーム
毎年出場で大人気のイベントです
◯みなみおおいた総おどり
町内会や職場単位で多くの団体が出場
総勢200名でのおどりです
「左衛門」「チキリン」「初瀬音頭」などのおどりがありました
 ◯お楽しみ抽選会
2日目、抽選会
1等 5万円分旅行クーポン券
2等 スチーマーナノケア
3等 デジタルカメラ
4等 キャンプグッズ
5等 防犯グッズ
7月25日(月)
毎年、祭り翌日の早朝より南大分中学校の生徒たちがボランティアで清掃活動を行ってくれます