今年は母校「大分県立大分舞鶴高等学校」の60周年です。
最近その記念式典などがあったらしいです。
「らしい」というのも、このことについて殆ど情報がないからです。
ニュースや人伝えに聞きました。
10月6日の記念式典(於:グランシアタ)ではOBの南こうせつと伊勢正三がライブを行ったらしいです。
よく高校や大学などで◯周年とかで記念事業や式典をやってますが、だいたい一部の人しか関わらないんですね。
よく高校や大学などで◯周年とかで記念事業や式典をやってますが、だいたい一部の人しか関わらないんですね。
最近も新聞などで見たんですが、大分県内の何校かの高校が周年を迎えたみたいです。
今回の母校60周年ですが、同じ大分舞鶴出身の友達に訊いても、知らなかったという人が殆どでした。
ちなみに60周年を迎えることは、同窓会の会報などが定期的に来るので以前から知ってはいました。
恐らく会報をよく読めば式典等についても知ることができたと思います。
早い話、こちらに関心がないんですね。
それはいいんですが、腑に落ちない点があります。
会報を通して60周年にむけての寄付金の依頼がありましたが、出しませんでした。
そこで思い出したのは、10年前の50周年の時のことでした。
その時もこちらに関心がなく今回同様、後で色々な事業式典等について知りました。
多分50周年なので今回よりも大々的にしたんじゃないでしょうか。
その時に思ったことは、もう少し色々な人に関わってもらうことが大事なんじゃないかということでした。
母校舞鶴高校というのは比較的結束のある学校だと思います。
私は第33回生なんですが、同窓の方に会うと「何回生?」という話から同窓生話に花が咲くことがよくあります。
誰と一緒だったとか、先生は誰がいたなど同窓生というだけで世代を超えての交わりが深い校風だと思います。
だからこのような周年事業を迎える時は、実行委員みたいな人がいると思うので、まずは各回生ごとに委員を選出し、各回生毎にローラー的に広く呼びかけを図ることが大事だと思うんです。
つまり会報プラス人伝えが大事だと思うんです。
関心のある人は一方的な情報伝達だけで十分なんです。
ネット情報などはこちらから関心事をもとに探しに行ってるんで十分だと思います。
広告チラシでも関心のあるモノには食いつきます。
DMなども同じだと思います。
会報もDM感覚と一緒なんですね。
ただ、同窓生の強みは人がネット状に存在しているということです。
周年事業に携わる人が直接協力を求めると全然違うと思います。
会報をとおしての関心度より遥かに関心度が高まる筈です。
4年前、卒業以来初めての同級会をしたことがありましたが、急な思いつきの割にはそれこそ人伝えで60名くらいの人が集まりました。
その2年後の同級会では100人くらい集まった記憶があります。
同級会とは比べられないかもしれませんが、周年事業でも関わろうとする人も潜在的には多くいると思います。
もともと実行側がそこまで望んでいないんだったらこの話は全く意味のないものになりますが、もしそうであるならばそれはそれで問題だと思います。
何故ならばこういう周年事業は実行側の自己満足の世界に閉ざされて終わるという最大の問題を抱えているのです。
関わらなかった人が見えてないんです。
大分で最も伝統のある大分上野丘高校も数年前周年記念事業があり、大分銀行ドーム(当時の九州石油ドーム)で何千人か集めたみたいですが、集めたということはかなり人が動いたと思います。
それでも実行委員の自己満足的なところは拭えなかったようです。
私の家族は父親が1回生ですし、姉、叔父たちも大分舞鶴の同窓生ですが誰も今回の60周年に関わりを持ちませんでした。
私は仕事や友達を含め普段から付き合いのある人だけでも何十人規模の同窓生を知っています。
恐らくその中で、今回の60周年事業に関わった人は殆どいないと思います。
そのくらい一部の人だけでやってる話なんです。
特に寄付金など会報のような情報伝達で募っても数字が上がる訳がないです。
誰かに直接頼まれてたら、絶対協力したと思います。
一部の人でやってるからしらけるし、協力しない、そして次回もというスタイルがどんどん大部分の方と母校との接点を遠くしているんだと思います。
このスパイラルは変えるべきです。
決して関われなかったヒガミではなく、純粋に母校への想いと自分自身への課題という意味でそう思います。
私自身も事業を企て促進する側になることがあります。
情報伝達のツールをつかうだけでなく、人が直接意を伝えることの大切さと関心のある人を堀り出して行く作業が大切だということを意識しなければならないと思います。
ちなみに、今日現在大分舞鶴高校のHPに60周年のことが記載されていないのは信じられないです。
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