東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2010年10月29日金曜日

オススメ料理①

今回は妻が投稿します。
以下妻の投稿です。


はじめまして。
嫁のNRK46です。
いきなりですが、今日は我が家の「手抜きbut安い美味しいヘルシー」オススメメニューをご紹介します。
我が家では月に3日間(4日・23日・28日)、お肉やお魚やそれらに準ずるものを食べてはいけない日があります。
(家族と親鸞聖人の御命日を一日中、精進料理で過ごします)
おかしやおつまみはもちろん、だしもこんぶとしいたけ・・みたいな感じです。
そんな日の精進料理としてこの料理がオススメです。
秋から冬によく作る(というよりおなべにブチ込む)お料理なんですが、「嬉野温泉湯豆腐」です。
福岡から大分に嫁にきて丸15年・・・。
決してアンチ大分人間ではありません。
大分にはイヤというほどたくさんの温泉がありますが、別府でも湯布院でも九重でもありません。
佐賀県の「嬉野温泉」の湯豆腐です。

材料:温泉とうふ用調理水、豆腐、野菜(白菜・ネギ・春菊など)、きのこ類、結び糸こんにゃくなど・・・。
(精進バージョンなのでお肉お魚は入れません)

【作り方】
①「調理水」に適当に切ったお豆腐を入れて強火にかけます。(だし不要)
②しばらくすると調理水が白濁してくるので、中火くらいにして野菜、きのこなどの材料をブチ込む。
③「調理水」が完全に白濁し、お豆腐の表面がトロっととけたようになったらできあがりです。あとはポン酢やおだしなどお好みでお召し上がりください。

シメにおうどんをいれてもとてもおいしいですし、さらにその後、ごはんやとき卵をいれておじやにしてもめっちゃおいしいです。
(おうどんやおじやにするときは、具を食べたあとの残った白濁のお汁におしょうゆ、酒、みりん、こぶだしなどで味付けして、おうどんやごはんを入れた方がいいです。)

(有)平川食品工業さんの「嬉野温泉名物 温泉とうふ用調理水」は大分市内ではマックスバリュー、コープ大分、一部のトキハインダストリーで購入できます。
お豆腐のコーナーに置いてあります。
多分ほかのスーパーにもあると思います。
ちなみにお豆腐はよそのメーカーさんのものでもできました。
ますます寒くなるこれからの季節・・・是非ともお試しください。
絶対オススメです。

平川食品の「調理水」と「豆腐」
出来上がりはこんな感じです
おろししょうが、カボス、ゆずごしょうがサイコーにあいます。 
ぽんしゃぶはあまりすっぱくないので、子どもたちのお気に入りです。
塩だしつゆもおいしいです。 

2010年10月27日水曜日

「命ゆくとき・・・最後は自宅で」

昨日、テレビ朝日報道ステーション」を視て、番組後半の特集のコーナーに考えさせられることがありました。
新聞のラテ欄には「”命ゆくとき・・・最後は自宅で”終末期医療医師のこだわり」とありました。
後で調べたんですが、この特集は大阪の朝日放送が2010年3月30日の深夜に「テレメンタリー」という番組で放送したもののようです。
大阪の「医療法人 旭医道会 中村クリニック」院長の中村俊紀医師(43歳)は往診の意義を重視し、仲間の医師10名ほどに呼びかけ地域の患者約280名を受け入れておられます。
中村医師の取り組みは、現在自宅で命を引き取る方が10%強しかいないという時代の中で、できるだけ住み慣れた我が家で家族とともに人生の最後を過ごしたいということへの支えとなっています。
患者と真剣に向き合い、患者の生活や患者の家族の様子などを考慮した治療の方法を模索していくことが往診の最大のメリットということです。
医者の中にもいろいろなスタンスで取り組む方がおられます。
最新の医療を駆使し病気を治したり、患者を一日でも長く生きれるようにすることが医療に関わる者の責務だと考える方も多いと思います。
一方、人間の「いのち」ということに向き合いながら精神的な面を考慮しながらの治療を大切にされる方もいます。
勿論インフォームド・コンセント(医者と患者との話し合いの中で治療方法を決めること)のうえでどのような医者を患者が求めるのかということが大切であります。
この放送の中で中村医師の取り組みに深い感銘をいただきました。
いかに中村医師が患者と真剣に向き合っているのか、あるいは「いのち」ということを真剣に見つめているのかテレビの映像を通してでも伺い知ることができました。
私は僧侶として少し情けない思いがしました。
仏教にもいろいろなスタイルでの取り組み方があります。
宗派によっても違いますし、僧侶個人個人によっても違います。
当然、仏教にも入口はいくつもあっていいと思います。
しかし、人間を見つめ「いのち」と向き合うということ抜きではどうしようもないことになると思います。
仏教でもキリスト教のホスピス同様に「ビハーラ」という取り組みがあります。
サンスクリット語の寺院、安住、休養などの意味を持ち、終末期医療患者に対して緩和ケアと癒しのサポートをする活動です。
私も曲がりなりに色々な場所、機会でビハーラに学ぶことがありました。
特に大分は、佐藤第二病院の田畑正久先生というビハーラ専門の先生がいらっしゃいますし、我が宗門にも同朋大学の田代俊孝先生という日本におけるビハーラ研究の第一人者がおられます。
私はこれまで何度となく、両先生のお話をお聞きしたり、本を読ませていただく機会がありました。
しかし、現場の雰囲気が見えていなかったというか、想像ができていなかったんだろうと思いますが、昨日の放送を見て「私は学んだつもりになっていたんだなあ」ということが知らされました。
終末期医療患者のところへ出向いて行って何かの活動を始めようという飛躍的な意味でありません。
普段御門徒さんのお宅へ伺い法務を務めさせていただいていますが、これはある意味往診のようなものです。
そこでいかに真剣に御門徒さんと向き合い、生きることやいのちということについて語り合うことができていたのかを問われたような気がしました。
とにかく「体でやっている」ことの強さや魅力は大きいと思います。
中村医師に大事なことを教えられた放送でした。

せっかくなんで、昨日の放送のオリジナル番組だったテレメンタリー「命ゆくとき」の映像がありましたのでご覧ください。




2010年10月25日月曜日

西岸寺継職法要

昨日(10月24日)、日田市の西岸寺様の住職継職法要があり、お参りさせていただきました。
新しい第18代の住職(櫻木証さん)が私と同級生なので、友人ということでお招きいただきました。
今回の法要にあたり、新住職より仏華の依頼があったので、3日前の21日に西岸寺様にお邪魔して仏華を申してきました。
この日はあいにくの雨でしたが、多くの御門徒さんに参詣いただき、前住職の御慰労と新住職の就任を祝いました。
この日の新住職は感極まって涙する場面もあり、ジーンときました。
御門徒さん方も新住職に大きな期待をよせていらっしゃいました。
新住職のご挨拶に、「この西岸寺を日本一のお寺にします。そのためには、私が日本一の住職にならねばなりません。また、御門徒さんも日本一の門徒にならなければなりません。」とあったのが印象的でした。
ただあまり一番を目指しすぎると、「2番じゃダメなんですか?」と仕分け作業で切り捨てられるので気をつけてください。
住職になると大変な責務を背負うことになると思いますが、彼は優れた住職になる力量があると思いますので、是非頑張っていただきたいと思います。
本当におめでとうございました。
西岸寺本堂
西岸寺本堂内
本堂内陣のお荘厳
今回私が、この仏華を申させていただきました
法要中の様子
第17代住職(右)と第18代住職
記念法話の講師が交通事情のため到着してなかったため、中継ぎ法話をされた小袋さん
さすが、肩ならしなしの登板にも関わらず難なく場を繋ぎました
本来の講師、長久寺徳瑞師
15分ほどの遅刻で済みました
相変わらずの毒舌法話で、御門徒さんも面食らったんじゃないでしょうか
参詣の御門徒の皆様
法要委員長の挨拶
日田組組長・浄満寺住職の祝辞
前住職と新住職に西岸寺門徒より記念品の贈呈
第17代住職の挨拶
第18代住職の挨拶
この後本堂で祝賀会がありました
祝賀会の後、場所を変えて反省会?が行われました
反省会会場のイタリアンレストラン「イル・マジック」のスタッフの皆さん
西岸寺の御門徒さんのお店で、この日無理に店を開いてくださいました
とても美味しい店でした
今度個人的に行きたいと思います
新住職を胴上げでお祝い
新住職の親友(悪友)たち
懲りずに3次会へ
この内4人が新住職と同級生
最後は新住職夫妻でデュエット
記念写真

2010年10月24日日曜日

将美会

昨日10月23日「将美会」がありました。
「将美会」とは、華道家元池坊の中央研修学院特命教授をなさっておられる上津原将仁教授の研究会です。
池坊大分支部の有志の先生を中心に立ち上げた研究会で、上津原教授には月一度大分に御出向いただています。
上津原将仁教授
私は1987年に池坊でいけばなを始めましたので、今年で華道歴24年目となります。
当時大学2年生だった私は部活、サークル、バイトなど一切しておらずとてもヒマだったので、「せっかく京都にいるんだったらいけばなでもやっておこうか」というノリで池坊文化学院という学校に入学しました。
実はこういう軽いノリだけではなく、私の祖父と叔母が池坊の師範だったということがあり、いけばなに興味を示すことになる環境にあったということがありました。
祖父は私の生まれる前に亡くなっているんですが、その叔母は当時京都に在住してましたので、いろいろと入学にあたっての世話をしてくれました。
その叔母もこの年の秋に40歳の若さで急に亡くなり、我が家に続く池坊の歴史を一手に任されることになったのかなあと思った気憶があります。
池坊文化学院には当時夜間部というのがあり、週3回立華、生花、自由花の授業がありました。(今は学院の全てのコースで募集を行っていないようです)
昼は大学、夜は池坊と今考えると何の面白みもない京都での学生生活を送っていました。
結局その池坊文化学院を大学2年から4年までの3年間通いました。
池坊直営の学校でしかも週3回の授業なので、普通の町教室よりも免状取得の進度が早いんです。
単純に計算して3倍くらいの早さだと思います。
2年目には所謂師範級の免状をいただきました。
大学卒業後地元大分に帰ってからは当西福寺の御門徒でもあります故・秦喜代麿先生の弟子として池坊大分支部に入会しました。
支部会員の先生方は殆どが50代から70代の先生ばかりで、80代90代の先生も少なくありません。
当時まだ22歳だった私は完全に浮いていました。
ましてやこの世界は女性が殆どの世界で、当時支部会員約150名中に男性会員は6名しかいませんでしたが、今はもっと減って私を含め3名しかいません。
私が大分支部入会後数年して青年部ができました。
もう少し早く青年部ができていたら、そちらに入っていればよかったんだと思います。
青年部ができたときも青年部の方の殆どが私より年上の方ばかりでしたから・・・。

この「将美会」には大分支部で特にお世話になっている菅野先生(殆ど私の親先生みたいな存在です)にお誘いいただき10年くらい前に入らせていただきました。
やはり家元の教授に直接ご指導いただけるというのは非常に勉強になります。
特に上津原教授の作品は教授独特の世界観が表現されていて魅力があります。
正直申しまして上津原教授は一見かなり怖そうに見えますが、非常に優しい方です。(年配の先生に窺うと昔は相当怖かったらしいです)
ここ一年くらい都合がつかず「将美会」をお休みしていた私ですが、この日久々に出席させていただきました。
他の先生方の作品なども参考になり有意義な勉強をさせていただきました。
なかなか日程や時間が取りにくく出席できないことが多いんですが、今後もなるべく出席したいと思います。
今回の私の作品
花型:立華新風体
花材:コスモス、赤柳、玉シダ、かすみ草、ストロベリーフィールズ、クッカバラ、風船唐綿
花器:ガラス(高さ約20cm)
他の先生方の作品
花型は全て立華新風体
秋らしい作品ばかりでした

2010年10月23日土曜日

特別支援学校バザー

昨日10月22日、大分大学教育福祉科学部附属特別支援学校のバザーがありました。
このバザーは毎年この時期に行われており、特別支援関係者のみならず、附属幼稚園、附属小学校、附属中学校、その他地域の方々も含め多くの方に協力参加させていただく一大行事であります。
バザーの内容は特別支援学校の生徒たちによる作品や農産物などの他、食品、バザー拠出品の販売などがあります。
幼、小、中からも多くの出品があると同時に、買い物客も多く来場します。
大分大学教育福祉科学部の附属学校園は全国でも珍しく4校園が同一敷地内にあり、日頃からその4校園が協力し合うような連携が蜜にとられています。
4校園合同集会があったり、8月末のブログ「親子清掃」でも紹介したように今年は親子清掃も4校園合同で行いました。
このバザーもその一つであります。
私は12時過ぎに特別支援学校の方に伺いましたが、既に拠出物品の販売は殆ど終わっていた様子でした。
体育館ではまだ多くの人がにぎわっていて、食品や物品の販売が行われていました。
この特別支援学校の存在は、特に附属学校園の関係者にとってとても意義があることだと感じています。
なによりも貴重なこととして、特別支援学校の生徒や生徒に接する先生、そして保護者の姿を窺い知ることができるということがあります。
障害のある方が非日常的存在じゃなくて、日常的存在として受け止めていくことが障害者に対する偏見を克服に繋がるものだと思います。
老人問題も同様です。
日頃から老人と接する機会があればあるほど、老いの姿を理解し自然な接し方ができるのだと思います。
幼稚園の小さな子どもたちも特別支援学校の生徒に対し偏見などあるようには見受けられません。
構内において普通にその姿を目にします。
日常化してるので、人間の姿の一つのあり方として自然なカタチで認めることができてるんだと思います。
また、先生や保護者の方と接する機会もいただいたおかげで、どういうところが弊害になったりするのか、どのような協力や支援が必要なのかといったことを知りうることができたとうことも貴重でありました。
いつも特別支援学校の子どもたちの表情は本当に素晴らしいと感じています。
もっと色々な意味で関わりを持ちたいと思いますが、ついついまだ遠慮がちになってしまいます。
4校園の枠を超えて、こういった関わりが社会的に日常化していくことが大切だと思います。
ここで特別支援学校の生徒さんの作品などが販売されていました
ステキな携帯電話ストラップなどがありました
体育館の様子
とてもにぎわってました
いろいろな食品が激安で販売していました
カレー(200円)をいただきました
美味しかったです
特別支援学校の前々PTA会長の麻生さんが石けんを販売してました
今回はこの石けんを購入させていただきました
体と環境に優しい石けんだそうです

2010年10月20日水曜日

ソフトバンク敗退

昨日(10月19日)、プロ野球パ・リーグのCS2ndステージ第6戦が行われ、ソフトバンクが負けて、千葉ロッテが日本シリーズ進出を決めました。
私は、かつて熱狂的プロ野球ファンでしたが、今は比較的冷ややかに見ています。
ですから、九州ということもありどちらかと言えばソフトバンクに勝って欲しかったんですが、そこまでショックはありません。
プロ野球も応援するチームがなければ、あまり面白くないですね。
熱狂的プロ野球ファンであった時期は応援するチームがありました。
最初は広島カープのファンでした。
小学校2年くらいの時だったと思いますが、昭和50年頃それまでセ・リーグのお荷物球団だった広島が「赤ヘル軍団」といって強くなって初優勝した頃です。
小学校高学年からは大の巨人ファンになりました。
しかし、93年第2次長嶋監督時代が始まるのを境に巨人ファンをきっぱりやめました。
理由は至って単純、長嶋が嫌いだからです。
国民的ヒーローの長嶋が嫌いな人は極めて少ないと思いますが、多くの人に愛されているあの天然キャラが嫌いなんです。
そもそも長嶋の現役時代は、小学校に入る前のことで記憶にないんです。
だから何の思い入れもありません。
以後、特別に応援する球団はありません。
というか、アンチ球団は今でもあります。
巨人ファンの時は中日西武でした。
巨人ファンをやめてからは、巨人と西武がアンチ球団となり以後変わりなく続いています。
巨人ファンを辞めた理由は長嶋監督就任の他に、同じく93年から導入されたFA制度とドラフトの逆指名制度(06年を最後に廃止)で選手を集めだしたからです。
この頃からプロ野球そのものが面白くなくなったと思います。
私は今でもそれまで(93年まで)のドラフト制度がよかったと思います。
ドラフトの各球団の1位指名選手は、ドラフトの始まった1965年(私が生まれる前ですが)から各年ごとに全部覚えていました。
逆指名導入以降は記憶にない選手が多いです。
江川事件や清原・桑田事件などのドラマもプロ野球の面白さの一部でありました。
偶然にも93年はサッカーのJリーグが発足した年で、日本のプロスポーツ界が大きく変革する年でもありました。
プロ野球、Jリーグともにそれぞれの持つ特徴があってプロスポーツ人気は全体的に盛り上がったと思います。
それぞれのスポーツに関しての考察は日を改めてやりたいと思いますが、お互いを意識して制度やシステムの変遷が行われたのは事実です。
特にプロ野球人気はオリンピックやWBCの人気が生命線となっていることは間違いないことだと思います。
WBCの連覇がなければプロ野球人気はもっと下がっていたんじゃないでしょうか。


話は戻りますが、というようなことで、ソフトバンクの敗退は残念だなあという程度です。
しかし今回のCSは、今年のロッテは非常に強いチームだとあらためて感じさせるシリーズでした。
特に成瀬は本当にいい投手ですね。
地味なところも好感が持てます。
まあ、九州びいきということをいうならば千葉ロッテの西村監督は宮崎出身なので応援しましょう。
さあ、今日からはセ・リーグのCS2ndステージです。
当然巨人に負けて欲しいんですが、中日vs千葉ロッテの日本シリーズになると相当地味だなあ。(複雑です)

2010年10月19日火曜日

免許更新・名作講習用ビデオ

前の投稿で運転免許の更新を報告しましたが、その際受講した講習内容について報告します。
講習は違反運転者講習だったため、2時間ありました。
午後の部に行きましたので、14:20〜16:20に受講しました。
午後ということもあり睡魔が心配されました。
予想通り、講習開始直後から眠気が襲ってきました。
最初に講師が受講にあたっての注意事項を言いましたが、その中で寝ていた場合は受講済みとならない場合があるとありました。
絶対寝てはいけないと気合いを入れました。
講習は免許更新についての概要や、新しい道路交通法などのことについて説明をしていましたが、気持ち的にはうつらうつら状態でした。
20分程たつと、「ここでビデオを一本見てください」ということになりました。
ビデオ上映のため講習室が少し暗くなったので、「寝るチャンスが来た!」と思っていました。
ビデオのタイトルは『飲酒運転の報い/破滅への道』というものです。
どうせ見応えがないと思って期待してませんでした。
しかし、タイトルのところで荒波に東映の文字が出てくる例の映像が出てきました。
なんと東映制作の本格的ドラマ仕立てでした。
ちょっと興味が出てきました。

物語は雨の夜、おばあちゃんと歩いていた子どもが車にはねられ救急車で運ばれるところを、多くの野次馬が見る中にひき逃げした犯人と思われる人物が様子を見ている場面から始まりました。
突然ある新聞社にシーンが変わり、そこに訪ねてきたのがなんと里見浩太朗です。
里見浩太朗(役柄は柏木という名前)は昨年までこの新聞社に勤めていたが、定年で退職し今は交通事故に関する取材等をやっているフリージャーナリストという設定でした。
久しぶりに新聞社を訪ね、元同僚の女性社員と談笑する中で柏木に「手紙が来ているのでお渡しします」という展開になりました。
その手紙の中に榎本純一という人物からの手紙があり、柏木は別室でそれを開封します。
その手紙の内容が朗読されるシーンから、その手紙を刑務所で書いている差出人榎本の映像が出てきました。
なんと榎本役はイケメン中堅俳優の原田龍二です。
予想通り、先ほどの事故のシーンで野次馬に紛れて様子を見ていた人物です。
手紙では「子どもたちは今どうしているだろうか?」という内容で、自分の起こした事故を取材した柏木に「無理なお願いをして申し訳ないが、そのことを調べて欲しい」という依頼が記されていました。
そこで、柏木が定年前に取材したこの事件を回顧するところから事件の全容が明らかになります。
回顧は榎本の友人に取材をする柏木のシーンから始まります。
映像は事故の日に戻ります。
仕事を終え友人たちと居酒屋らしきところで飲んでいる途中、榎本に一本の電話が入ります。
それは仕事の電話で、取引先の方の冷蔵庫が壊れたので何とかして欲しいという内容でした。
友人たちは「今日は酔ってるので、修理は明日にしてもらえば」と説得しますが、真面目な榎本は「お得意様に迷惑はかけられない、冷蔵庫の中のものが腐ったら損害が生じる」とい言い修理に向かうことを主張します。
かなり引き止めたんですが、「少し酔いを醒まして向かうから大丈夫」と言って店を後にします。

そこで、榎本の人物像が紹介されます。
榎本は数年前、前の会社から独立して電気関係の仕事を起業して、その仕事が軌道に乗り、マイホームも手に入れ奥さん二人の子どもと幸せに暮らす38歳という設定です。
非常に真面目な人物像で描かれていました。

店を出て車中でコーヒーを飲みながら酔いを醒ます榎本のシーンに戻ります。
そこでお得意様から再度電話があり「まだですか?」と催促されたので、榎本は意を決して車を出します。
再び柏木の取材を受ける友人のシーンが映し出され、「自分も飲酒運転で事故をした経験があるので、もっと必死に榎本を止めておけばよかったと後悔している」と言っていました。
その後、雨が降る中で注意をしながら運転する榎本と並行して、祭りの帰りなのか浴衣を着て傘をさして歩く2人の子どもとおばあちゃんの姿が映し出されます。
そして遂にその時がやってきます。
場所は板橋区の急カーブのある坂道です。
歩行者用の信号が青になってわたる子どもたちを榎本の車が止まりきれずにはねてしまいました。
車を止めて呆然とする榎本は、「逃げることしか考えなかった」と回顧の声が入りました。
再びシーンは変わり、柏木がその後の榎本の様子を榎本の妻に取材するシーンになります。
今思うと当日帰ってきてから様子がおかしかったということでありました。
帰ってくるなり全く元気がなく、風呂も入らずに寝てしまったが、夜中にうなされて飛び起きてしまいます。
次の日はめずらしく仕事を休み、仕事を再開しても手につかない榎本です。
事故に関しては翌日の新聞で詳細がわかり、弟は脳挫傷で事故後死亡し、姉も脊髄損傷で重体ということでありました。
車で亡くなった子どもの葬儀会場の寺の前を通過して様子を窺ったり、事故現場で手を合わせる榎本の姿がありました。
数日後のある夜、榎本は切り取った新聞記事を見せとうとう妻にひき逃げのことを打ち明けます。
妻は「何故逃げたのか」と泣きながら問いつめ、話を聞きつけた榎本の2人の子どもたちもやってきて父親を責めます。
お兄ちゃんの方は「パパは逃げるなんて弱虫だ、卑怯だ」と言います。
榎本は「後は任せた、今から自首する」といって家を出てそのまま自首しました。
榎本の自首後、妻は謝罪に奔走します。
被害者宅に行って土下座しても、脊髄損傷した子どもの見舞いに病院へ花を持って行っても冷たく突っぱねられます。
被害者の両親や祖母からは「救急車を呼んでたら息子は助かったかもしれない」、「どれだけ謝られても息子はもう戻ってこない」とののしられ続けます。
その後、裁判で判決が下り榎本は懲役5年の刑事処分、民事では1億2千万円の損害賠償が課せられました。
残された榎本の家族はせっかく手に入れたマイホームを手放し、ボロボロの安アパートに引っ越しました。
妻は昼は飲食店で皿洗い、夜は工事現場の警備員などをして、昼夜問わず働きづめで、子どもたちはカップラーメンをすする毎日でした。
次第に子どもたちはおかしくなります。
下の女の子は学校に行きたくないと言い出し、上のお兄ちゃんは髪の毛を染めグレはじめ、幸せだった時の家族の写真を破いたり母親に反抗的態度をとるようになっていました。
被害者の重体だった女の子は一命はとりとめたもの、半身不随で一生車椅子の生活の身になりました。
被害者家族は相変わらず妻に冷たく、「お金なんか要らない、息子を返して」といいます。
被害者の父親は酒漬けになり、母親も少しおかしくなったので、おばあちゃんが孫娘を看病していました。
榎本の妻は疲れ果てていました。
そして、とうとう「あなた、ごめんなさい。もう一歩も歩けません」といって踏切で電車に身を投じて命を絶ちました。
それを獄中で知らされた榎本も泣き崩れました。
まさにタイトルどおり、加害者も被害者も家族共々破滅の道を辿ることになりました。
榎本が柏木宛に出した手紙にあった、子どもたちの安否については長野の親戚が預かっていることが有力視され、早速新聞社の長野支社に連絡して調査依頼をしてました。
新聞社の女性社員から調査報告があり榎本の子どもたちは無事に親戚宅で暮らしているということがわかりました。
その場で、柏木は榎本に子どもたちのことについて知らせる手紙を書きました。
物語の最後は、柏木と新聞社の女性社員がこの事件について語り合います。
柏木が「榎本は真面目でいい人間だったが何かが足りなかったんだと思う。それは勇気じゃないかなあ。酒を飲まない勇気、飲んだら絶対に車の運転をしない勇気、そして事故を起こした時に逃げずに被害者を救助する勇気があれば、これほどのことにならなかったんじゃないだろうか」という台詞で締めくくります。

以上がビデオの内容ですが、上映時間は25分くらいだったと思います。
これだけ鮮明に覚えているということは、当然眠気が吹っ飛んで見入ってしまったということです。
講習の部屋には約30名くらいの受講者がいましたが、みんな真剣に見ていました。
寝ている人はいませんでした。
流石、東映の製作なので作りが丁寧です。
脚本、演出、カメラワークなどこういった教習用のビデオにしてはクオリティーの高い作品でした。
真面目な人間が悲惨な目に遭うといった、昼メロばりの内容は十分満足できました。
違反運転者講習は講習手数料が優良運転者教習より1,000円高いんですが、完全に元を取りました。
敢えてこの作品にツッコミを入れるならば、「どうしてもお得意様のところに行かないといけないんだったら、タクシーで行ったらよかったんじゃないか」ということと「里見浩太朗と原田龍二のキャスティングだと水戸黄門とかぶってるじゃん」ということです。
里見浩太朗は老けたなあということと、原田龍二ってかっこいいなあという感想も付け加えておきます。

このビデオを見た後、15分ほど休憩を挟んで講習が再開しました。
講習の後半にももう一本ビデオを見ました。
このビデオに関しては非常にクオリティーの低さを感じました。
タイトルは『知って得するセーフティードライブ/高速道路とうまくつきあう方法』というものです。
言うならば、完全に日本道路公団の宣伝ビデオです。
内容は「高速道路での故障時の対処」、「トンネル内の事故と火災の対処」、「高速道路の逆走の注意」、「過積載と荷崩れの注意」、「サービスエリアの利用促進」などについてでした。
サービスエリアのところでは、温泉があったり休憩施設があったりしますというような宣伝丸出しの内容でした。
本当はこの後ETCのお得な利用法なども組み込まれていたみたいですがそこはカットしてました。
ちょっと笑いを取る感じの場面がいくつかあったり、CGを駆使してるところもありましたが、全体的に安っぽいビデオでした。
しかし、出演者の演技力はなかなかのものでした。
それから、高速道路内でロケをしてるみたいなんですが、蛇行運転ややってはいけないことなどの場面がありましたが、「こんなロケを高速道路でやったら迷惑だろう」とツッコミを入れたくなりました。
というよりも全体的なツッコミをしなければならないんですが、そもそもこの講習は数度の交通違反をした人を対象とした講習なのに、高速道路の利用についてのノウハウを知らせてどうするんだと思いました。
全く意味がないと思います。
例えばスピードの出し過ぎによる危険を啓発するとか、駐車違反によって消防車や救急車の通行の妨げになるとかのビデオを見せるべきだと思います。
そんなこんなで、講習の後半はボロボロでした。

まあ何はともあれ、おかげで睡魔との戦いには勝つことができた講習でした。

免許更新

3年ぶりに運転免許の更新に行きました。
以前と違って誕生日の前後1ヶ月づつの2ヶ月間が更新猶予期間なので、日程に都合がつきやすくなったと思います。
大分県運転免許センターは、2006年に大銀ドームなどがある大分スポーツ公園(大分市松岡)の南側に移転しました。
はっきり言って非常にアクセスの悪いところにあります。
免停講習や試験などで車に乗って行けない人にとっては不便な場所です。
それまでは大分市賀来というところにあり、私の自宅から1kmくらいのところで便利がよかったんですが古いのと手狭だったことを考えると移転はやむを得なかったと思います。
関係ない話ですが、その賀来の試験場跡地は今も当時のままで、跡地の利用に困っている様子です。
場所も悪くないところなので有効に使われるといいんですが・・・。

さて、新しい運転免許センターですが、広々として非常に立派な建物です。
ここに入るのは、前回の免許更新以来2回目となります。
日曜日などは人が多いらしいんですが、一日平均何人くらい来るんでしょうか?
前も思ったんですが、何か別のイベントなどに利用できないんだろうかと思うくらい勿体ない施設です。
駐車場も十分にありますし・・・。
運転免許センター
外には広々としたウッドデッキがあります
1Fフロアも広々としてます
館内には売店がありイートインのスペースもあります
母子室・授乳室も完備しています
教習コース
更新の手続きはマニュアル化されていて、流れ作業で手続きを進めます。
以下の手順で更新を行います。
入口を入ると更新のところで受付をします
自動受付機があり免許証を差し込むと申請書がでてきます
この機械で暗証番号を登録します
まずここで書類等を提出します
ここで適性検査(視力検査)を行います
ここで免許証の写真を撮影します
再度所定の受付
更新に関わる手数料は更新手数料(2,500円)と講習手数料(700〜1,700円)です。
手数料の他に交通安全協会費(2,000円)の納入を迫られますが、「お断りします」と言ってスルーしました。
ご存知の方も多いと思いますが、この費用についは義務ではなく任意であります。
私は今回の更新で確か8回目の更新になるかと思いますが、3回目以降は安全協会費を納めたことはありません。
交通安全協会は文字通り交通安全を推進する団体であり、社会的貢献度も非常に高いのは理解できます。
私が会費納入を拒否するのは、以前大分県交通安全協会が設立した大分県自動車学校の警察からの天下り役員が横領事件を起こしたということと、安全協会の活動費に疑問がある等の理由であります。
昔は納入を拒否すると、しつこく説得され、それでも拒否すると嫌みを言われてました。
新しい運転免許の交付が後回しにされたりしたこともありました。
納入した人のみ、教本やプラスティック製の免許証ケースをくれていましたが、どうせ要らないので納入したくありませんでした。
大分の場合、今は拒否しても「そうですか」とさらっと受け答えてくれます。
よく見ていたんですが、結構納入する人は少ないようでした。
義務だと思っている人も多いと思いますが、どうせなら全員義務化にした方がいいんじゃないでしょうか。
しかし、今更そういうわけにはいかないんでしょうね。

更新は最後に講習を受けて、新しい免許が交付されるというのが最終的な流れですが、更新時の講習は4つの区分に分かれています。

◆優良運転者講習(30分)講習手数料700円
免許取得5年以上で過去5年間違反がなかった者
◆一般運転者講習(1時間)講習手数料1,050円
免許取得5年以上で、過去5年間軽微違反が1回の者
◆初回更新者講習(2時間)講習手数料1,700円
免許取得5年未満の初回更新者
◆違反運転者講習(2時間)講習手数料1,700円
免許取得5年以上で、過去5年間軽微違反が2回以上か、重大違反を犯した者
(※高齢者講習は更新前に済ませておくらしい)

私は恥ずかしながら、過去5年以内に運転中の携帯電話使用の違反が2回あったため、違反運転者講習を受講しました。
長くなるので受講内容は次のブログに譲ります。
2Fの講習会場です
このような部屋がいくつかあります
講習の様子
今回、新しい免許証についての説明がありました。
今年の1月4日から新しい免許証が導入されましたが、その最大の特徴はICチップを組み込んだことらしいです。
プライバシーの保護と免許証の偽造防止が目的ということです。
免許証に本籍などが記載されずに、ICチップに書き込まれることになったそうです。

そのかわり暗証番号の登録が必要となり、免許証自体も厚さが1.5倍になったということです。
最後に古い免許証と交換に新しい免許証が交付されました。
一つだけ疑問が残りましたが、古い免許証を返還する時に書類を束ねておいたクリップをつけて返還するように言われましたが、そのクリップはなぜ必要なのか不明でした。
13:00から3時間半の長丁場で結構疲れました。
今度は絶対優良、最低でも一般の更新を受けたいと思いますので、安全運転に十分気をつけて運転ライフを楽しみたいと思います。