東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2010年9月28日火曜日

別院秋彼岸会・組門徒会員研修

9月27日、真宗大谷派四日市別院(東別院)にて、「四日市別院秋季彼岸会」ならびに「日豊教区組門徒会員研修」がありました。
小雨の降る中でしたが、教区全域から約180名の組門徒会員と一般参詣者がお集まりいただきました。
午後1時30分から、彼岸会のお勤めがありました。(永代経法要も兼ねていました)
【勤 行】
伽 陀
仏説阿弥陀経
正信偈同朋奉讃式
御 文
阿弥陀経中に、参詣者の焼香がありました。
勤行中の法中
下陣には別院列座の方々
勤行中の様子
御文拝読
勤行中の参詣席
お勤め後、「組門徒会員研修」の開会式を行いました。
開会式では隈部悟日豊教務所長より、本山の宗祖御遠忌と日豊教区の宗祖御遠忌の経過、案内とご依頼についてのご挨拶がありました。
引き続き、私もご挨拶させていただきました。
といいますのも、この「組門徒会員研修」を所管する教区教化委員会・共同教化部門の幹事をさせていただいているからです。
お彼岸の意味と、本山別院の護持にお念仏の中に生きられた先達の想いを確かめていただきたいという趣旨を申し上げさせていただきました。
隈部教務所長のご挨拶
共同教化部門幹事の私が趣旨説明をしています
今回の研修のテーマは「宗門の歩み」−法義相続と本廟護持の精神に学ぶ−ということで、講師は先述の隈部悟師(日豊教務所長・四日市別院輪番)でした。
講話中の講師・隈部師
研修会のパンフレット
テキスト「真宗の教えと宗門の歩み」
宗祖親鸞聖人の入滅後、御影を安置する廟堂が建てられたことに始まる真宗本廟の歴史を追ってお話しくださいました。
印象に残ったのは、隈部先生が本山同朋会館の補導の時分に当時の藤原参務が「住職は留守職だから、門徒の代表でお寺の留守役をするんです。」とおっしゃられた記憶をお話しされたことです。
『本願寺聖人伝絵』に大谷廟堂の右手に掃除する留守職が描かれていることを、これが住職の姿だということで紹介されました。
東本願寺は江戸時代に4度焼失したことなどの苦難の歴史を抱えながらも、お念仏によって支えてられたことなどのお話もいただきました。
講話の後、質疑の時間があり本願寺東西分派のことについての質問などがありました。
閉会にあたり、帯刀昭司教区門徒会長、小倉三好参議会議員、髙司佐平参議会議員のお三方よりそれぞれご挨拶がありました。

帯刀門徒会長のご挨拶
小倉参議会議員のご挨拶
髙司参議会議員のご挨拶
今年度は、来春にいよいよ本山(東本願寺)で「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」があります。
後残すところ半年であります。
門徒会員の方々には御遠忌円成に向けて、ご尽力いただかなければなりません。
そういった意味で、この研修会が意義を持つことができたと思います。

2010年9月25日土曜日

山下達郎ライブ

9月24日、山下達郎のライブ「JACCS PRESENTS TATSURO YAMASHITA Performance 2010」が大分iichikoグランシアタであり、妻・妻の弟夫婦と4人で見に行きました。
私はあまりコンサートに行くことに興味がないんですが、山下達郎は別です。
勿論彼の音楽が好きだという理由もありますが、最大の理由は山下達郎がテレビにも出ないし、ライブ映像も公開されてないので本人を確認できるのがライブだということです。
結論からいうと、クオリティーの高いパフォーマンスを満喫でき最高でした。
先月、大分でEXILEのコンサートが2days行われ、計8万人の観客を動員しましたが、その時の大分はちょっとした大騒ぎ状態になっていました。
私はそのコンサートに行った訳ではないんですが、対照的なコンサートだったんじゃないかと思います。
山下達郎の場合はダンスなどが無く、しかもビジュアル重視ではないというのは勿論ですが、巨大な広告宣伝などを背景に商業的興行を展開するアーティストとは違い、音楽的センスと技術だけで観客を魅了するライブでした。
山下達郎が大分に来るのは、99年1月以来で実に11年8ヶ月ぶりです。
実はその時も私、見に行きました。(その時は妻・妻の弟の3人で行きました)
今回のツアーはデビュー35周年の記念ツアーでそれにちなんで全国35公演あるそうです。
しかし、追加公演が4つあり全39公演ということで、この大分公演が22公演目でした。
ライブ中、山下達郎が「あと17公演あるので、今日の公演をブログなどでネタばらししないでください」と言ってましたが、感想だけでもと思い、約束破って投稿してます。
私たちは今回2階席の2列目という席でしたが、別にビジュアル重視ではないのでここで十分でした。
客層は予想通り40代〜50代がほとんどで、20代の人は極僅かじゃなかったかと思います。
当然、チャラチャラした人などいませんでした。
ステージのセットはアメリカ的な家が上手下手に一軒づつあり、ガレージからトラックの荷台が出ている、三輪車やガーデンのテーブル、イスが庭にある、バックは草原に風車などといった感じでちょっと“わたせせいぞう的”な雰囲気で結構大掛かりでした。
演奏全体をとおして思ったことは、山下達郎独特のギターのカッティングの格好良さと歌唱力に魅せられたということです。
曲の間に、スキャットというかハミングというかシャウトというか、そういったのが入るのは山下達郎の醍醐味です。
また、山下達郎の曲はベースの音色が効いてるものが多く、そういうところも個人的に好きなんです。
MCは相変わらずの雰囲気で、FMラジオの『サンデーソングブック』同様、流暢で軽快でちょっと毒舌&自虐的なところがあり客にウケまくってました。
正直言うと、かなりの早口なので聞き取りにくかったです。
この山下達郎は音楽に関してかなりマニアックな方なんですが、その部分が十分堪能できるライブでした。

オープニングは意外にもKinKi Kidsに提供した曲「HAPPY HAPPY GREETING」でした。
おそらく35周年祝いでそうなったんだと思います。
引き続き私がオープニングと予想した「SPARKLE」で、一気に達郎ワールドに突入しました。
今回は山下達郎の原点を回帰する意味で、シュガーベイブ時代の曲を当時のヴァージョンで何曲か披露してくれました。
「WINDY LADY」、「SOLID SLIDER」は私の大好きな曲で、懐かしさと山下達郎の才能とライブならではの雰囲気が見せ場でした。
お得意のアカペラも披露してくれました。
「Most Of All」、「Only Have Eyes For You」の2曲でした。
あらためてこの人の凄さを感じました。
今でこそ、「ハモネプ」とかで若い人もやってますが、「On The Street Corner」シリーズなんか3作も出してるんですよ。
しかも全部一人でやってるんですから驚きです。
ライブではVOCAL以外の音源が流れ、VOCALは生で歌うという形です。
ファンクラブのリクエスト曲「潮騒」、名曲「クリスマス・イブ」もありました。
正直、「クリスマス・イブ」はライブ向きではないような気がします。
最近の曲では「僕らの夏の夢」、てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜』の主題歌「希望という名の光」がありました。
エンディングは「LET'S DANCE BABY」、「アトムの子」、「LOVELAND,ISLAND」の3曲。
「LET'S DANCE BABY」からは総立ちでした。
(私は座ってゆっくり見たい派なので立ちませんでした。2階席は一部の人が立ってました。)
お約束、「LET'S DANCE BABY」の「心臓に指鉄砲♪」のところで観客のクラッカーが鳴りました。(これは山下達郎のライブでのお約束です。前回もありました。)
最近はネットなどのおかげで情報が豊富なので、みんな知ってるんですね。
かなり、多くの人が鳴らしましたので、しばらく火薬のにおいが充満してました。
これもお約束、「LOVELAND,ISLAND」の最後に拡声器でパフォーマンス。
今回のは去年取り壊された大阪フェスティバルホールから貰ったものらしいです。
最後の3曲は超ノリノリでした。
アンコールでは、2曲披露してメンバー全10名でカーテンコールをしておきながら、もう一曲シュガーベイブの名曲「DOWN TOWN」を演奏。
その後、山下達郎以外のメンバー全員引っ込んでこれでもう終わりかと思いきや、アカペラで「Your Eyes」を熱唱で終了しました。
したがって、アンコールだけで4曲ということですごくお得感がありました。
山下達郎は一度もソデに引っ込むこと無く3時間強のライブでした。
57歳とは思えないほどのパワフルさに驚きました。
こういう人が日本の音楽シーンにいることは有り難いことです。
山下達郎独自の音楽ジャンルなんでしょうね。
これからは毎年ライブ活動をするようなので、行ったこと無い方は是非一度堪能してみてください。
おススメです。
(一応、MC部分のネタばらしは極力遠慮したつもりです。あしからず。)
今回のコンサートのポスター画像。この衣装で演奏してました。
今回のチケット


2010年9月23日木曜日

秋季彼岸會法要&中秋の名月

今日は、お彼岸のお中日です。
相変わらず、納骨堂には途切れなく参拝者が来ます。
まあ、お寺の境内に足を踏み入れるだけでも、結構なことかもしれません。
納骨堂に人が入るとモニターとセンサー音が鳴るようにしていますが、こうやってブログを書いている今もセンサー音が鳴っています。
昨日から明日までの三日間、「彼岸會法要」をお勤めしています。
納骨堂の参詣者に比べたら、法要の参詣者は少なく寂しい限りです。
何か工夫が必要だと思っています。
住職である父親は全く危機感がない模様です。
年齢(75歳)を考えると、そこまでの気力もないんだろうと思います。
まあ、一応その住職が気力を振り絞って、三日間法話をしています。
法要は明日までありますので、是非ご参拝ください。

秋季彼岸會法要

おまけです。
昨日、9月22日は中秋の名月でした。
天候が危ぶまれて、見れないかなあと思っていましたが、夕方見ることができました。
きれいな満月でした。
この後、20分後くらいには、曇って見えなくなりました。
夜には雨になったので、すごくいいタイミングでした。
9月22日18:30頃、東南の空の様子。

2010年9月21日火曜日

お墓参り

昨日は彼岸の入りだったので、お彼岸についていろいろと綴りましたが、それに関連してお墓参りについて書きます。
当西福寺には納骨堂があります。
昭和39年に建てられたもので、当時はおそらく納骨堂の走りの時代じゃなかったでしょうか。
180基ほどありますが、当然今はもう空きはありません。
しかし、納骨堂の需要は大きいんです。
毎年何件か申し込み希望をいただくんですが、空きがないのでお断りさせていただいています。
そういう意味で建替えるか、増床して数を多くしたいという思いです。
近々何らかのかたちで対処するつもりです。
お墓ではなく納骨堂を求められる方の理由はそれぞれあるようです。
例えば、お墓だと管理が大変だとか、若い世代が地元から離れているだとか、お寺の境内のあるから安心だとか、その他いろいろあるようです。
都市部ではなく田舎の方の寺でも納骨堂があり、その需要が多いようです。
私の知っているお寺さんで所謂山間部にあるんですが、そこには立派な納骨堂が2棟もあります。
言葉はよくないですが、「何故こんな田舎に必要なんだろう。墓を建てる土地なんかどこでもいっぱいあるだろうに」と思います。
さてその納骨堂ですが、お彼岸のこの時期は本当に多くの方々がお参りに来られます。
お彼岸以外でいうと、お盆、それから年末年始も参拝者が多いです。
あらためて、日本人はお墓参りが好きなんだなあと感じます。
お盆やお彼岸の時期はお墓参り用にお花が売れるんですね。
お花屋さんやスーパーなどにお墓参り用のお花が多く出ます。
テレビのニュースなどでも墓地に参詣する人々が映し出されます。
お墓参りが好きな方は、お盆お彼岸だけにお参りするだけじゃないんですね。
例えば月命日です。
当西福寺では月忌参り(月命日の日に該当する門徒宅にお参りする)を行っています。
お参りすると、朝早く墓参りを済ませたとか、この後お墓にお参りするとかおっしゃられる方が多いです。
散歩がてらに毎日お墓参りされる方もいるようです。

このようにお墓参りの好きな日本人ですが、昨日のブログ(「お彼岸」)でも記したようにお彼岸の本来的意味は仏法聴聞に励むというところにあります。
つまり、仏教の教えをいただくということです。
仏教徒の基本的姿勢は「帰依三宝」です。
三宝、三つの宝は「仏」(真理に目覚めた人)、「法」(仏の説く教え)、「僧」(仏の教えを一緒に聞く仲間)のことです。
お墓参りの一般的、世間的な感覚や意識は先祖崇拝、先祖供養じゃないでしょうか。
それは、先祖を偲び、先祖のためにお参りすることによって、先祖の冥福を祈るということです。
仏教徒の基本姿勢とはかけ離れています。
「帰依三宝」の姿勢は法座に座るということです。
本尊に向き合い、仏を讃え(お勤めをする)、仲間とともに仏の教えを聞くのが法座です。
しかし、近年本当に「彼岸會法要」の参詣者が少ないです。
彼岸だけでなくほかの法要も昔に比べたら少なくなりました。
この原因にはまずは寺側の立場として、寺側に大きな責任があることは否めません。
しかし、同じ境内にある納骨堂にお参りしながら、法座どころか本堂にすら入らない方が多いのには驚きます。
かつて、納骨堂に入られている御門徒さんのお宅にお参りした時に、「納骨堂にお参りの際は本堂にもお参りください」と申し上げたところ、「本堂とかありましたかねえ」と信じられない言葉が返ってきたことがあります。
納骨堂より遥かに大きな本堂の存在に気づかないというくらいの意識です。
以前「お寺は風景だ」といわれたことがありましたが、風景にすらなってなかったんですね。
唖然としました。
ある方が「お墓参りはすごく大事なことなので、自分も欠かさずにするが、このことだけは子どもにちゃんと伝えている」という方がいました。
一見、今時感心な人だと評価されそうな話です。
しかし、本人が何故大事なのか、それを伝えられた子どもも大事だという理由がはっきりしているのか疑問です。
形式的なことが受け継がれることは大事だと思いますが、逆に形式的なことが根強くなり意味や意義を問うという意識が低下する弊害もあるんではないでしょうか。
そのバランスは非常に難しいです。

私は、お墓参りは大いに結構なことだと思っています。
お墓というものは、亡き人が還られたお浄土の世界を、亡き人の亡がら(御遺骨)が収められた場所でより深く感じることができるという意味で大きな役割を持つものだと思います。
私は「聞く」ということがいかに大事なのかということをあらためて痛感しています。
真宗でもいろいろな形式やスタイル、習慣を持ち合わせています。
しかし、それらは全て「聞く」ということへの導入になっているんだと思います。
必ず「聞く」という確かめの場が開かれるんです。
形式化したものの意味が逆にわかるんです。
そういう意図が背景にない形式的なことは逆に厄介なことにもなってしまうように思えます。

本当はお寺に墓があったり、納骨堂があるというのはお寺に参る導入に繋がるから意味があったと思います。
本堂を通らなければ納骨堂に行けないお寺もあります。
わざわざそうしてるんですね。
本山に納骨される方もいらっしゃいます。
ただ単に本山への結びつきを強く感じるために納骨される方もいらっしゃるでしょうが、先祖の遺骨を納めることによってそこに足が向いていくというようなことの方が大事な理由だと思います。


2010年9月20日月曜日

お彼岸

今日、9月20日は所謂「彼岸の入り」です。
お中日にあたる秋分の日を挟む一週間を「お彼岸」といいます。
春も同様に春分の日を挟む一週間が「お彼岸」です。
今年は9月20日から26日までが「秋の彼岸」にあたります。
「彼岸」とは、サンスクリット語のパラミータという言葉の漢訳で「到彼岸」を略した言葉です。
つまり、「彼岸」(彼の岸、向こう側の岸)とは煩悩を越えた悟りの世界、仏の世界である極楽浄土のことです。
一方、煩悩や迷いに満ちた我々の世界、娑婆のことをこちら側の岸「此岸」(しがん)と言います。
この行事は仏教の行事ですが、もっと言うならば日本独自の仏教行事です。
日本では春分、秋分の日は昼と夜の長さが同じです。
昔から、「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、これには深い意味があるのです。
(因に近年は彼岸を大きく越えて暑さが続くように思います。少し気候の変化を感じます。)
暑い間や、寒い間はなかなか出向きにくく、仏教の教えを聞くことが難しいですが、、一番過ごしやすくなったこの時期、あらためて仏法聴聞に励みましょうということです。
交通安全週間や動物愛護週間などと同様に、仏法聴聞週間というようなものが「彼岸」です。
恐らく、春分、秋分の日が祭日なのは、休みを利用してお寺参りや墓参りに励みましょうという理由だと思います。
最近はこの時期の祭日を利用して、旅行をしたりイベントなどを催したりということが多くなりした。
運動会などもあったりしますが、正直申しますとこのお中日に開催するというのは非常識だと思います。
お寺参りや墓参りができません。
休みの本質が本末転倒しています。
今一度、彼岸のあり方、春分、秋分の日の意味を問い返していただきたいものです。
当西福寺では毎年春秋とも、お中日を挟んで三日間の「彼岸會法要」をお勤めしています。
今秋の彼岸會法要は22日〜24日までの三日間お勤めいたします。



因に、本願寺八代目の蓮如上人の帖外御文(五帖八十通に収まっていない御文)に「彼岸會御文」というのがあり、お彼岸の本来的意味がよく窺うことができますので、紹介します。

そもそも此吉崎の一宇にして、彼岸會と申す事は、春秋の両時において、天正時正と申して、昼夜の長短なくして、暑からず寒からず、其日いでゝ正等にして直に西に没し、人民の往還たやすく、佛法修行のよき節なるによりて、其かみ佛在世より末代の今にいたりて、これを行ふ也。
此時は、人の心ゆたかなるによりて、信行増上し易し。
されば、冬は秋の余り、夏は春のすへなれば、夏冬は艱(勤)苦にして、信心修行もをろそかになりやすきに、この両時の初めこそ、信行相続して、未安心の人は宿善の花も開け、信心開発の人は、佛果圓満のさとりをもうるにより、都て佛法信仰の人は、参詣の足手を蓮び法會に出座するものなり。
しかれば、彼岸會といへることは、七日の内中日は、日輪西方にかたぶき、かの浄土の東門に入りたまふ。
此ゆへに無爲涅槃の極樂を彼岸とはいへり。
今娑婆を此岸といひて、生死海有爲の迷のきしなるにより、佛願正智の弘誓の舟に乗じ、さとりのかのきしに至りうるの念佛なれば、経には一切善本皆度彼岸と説し(き)、又は究竟一乗至于彼岸とものたまへり。
故に當流祖師聖人の御法流には、まづ平生業成の御勧化入正定聚の益あれば、あながちに此両時にはかぎらず、つねに佛恩を信知するといへども未安心の人はたゞ名聞人目ばかりの心にして法座にのぞみたまはゞ信心も等閑なるべし。法理も白地にならずして、たとへば珠を淵になぐるが如く、又はうへきの根なきに似たり。
これ(ひ)ねがはくは皆々、名聞人目の心をすてゝ、信心報謝の念をはこぶべきなり。
その肝要と申すは、弥陀如來をたのみ、今度の我等が一大事の、後生たすけたまへと、一筋に信じ雑行雑修をはなれたる、一心專念の人は、十人も百人も、のこらず極樂に往生すべきことをたふとみ、その嬉さには、ねてもさめても南無阿彌陀佛を申して、足手をはこび信心相続あらば、ひとへに信行両益の人と云べし。
これすなはち十即十生百即百生の人数たるべきものなり。
これぞまことに彼岸會参詣といふべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ
右於吉崎一宇令建立執行彼岸會者也。
文明五年八月十四(十三)日 蓮如 五十九歳判


2010年9月17日金曜日

ネット社会の関わり方

近年、メディアの種類が多様化してきました。
昔は、新聞、テレビ、それに雑誌が加わるくらいでした。
今はIT時代という括りでいいのかどうかはわかりませんが、インターネットをはじめ様々なメディア媒体があります。
新聞、テレビは情報が一方通行なのが特徴です。
悪く言えば、情報操作されてるかもしれません。
新聞やテレビのニュースなんか、どうやって選んでるんでしょうね。
何故こんなどうでもいいようなことが取り上げられるんだろうと思う時があります。
あるいは、同じような事柄なのに、あることは取り上げられ別のところは取り上げられなかったりということもあります。
その判断基準はどこにあるんでしょうか。
地方のニュースになると、こっちがある程度世間の動きがわかるから、ニュースにならなかったことが何故取り上げられなかったんだろうと思うことがあります。
ただ、最近のテレビなどでは視聴者参加型の形式や機能があるので少しは変わってきたと思います。

ところが現代のネット社会における情報というのは、これまでとは全く別物です。
まず、情報の量が膨大です。
しかも情報のソースも様々で多岐にわたっています。
いったい誰がどこで仕入れたんだろうというような情報もあります。
当然、その分根も葉もない情報もあるでしょう。
それから現代というのは、個人の主義主張が簡単かつ公に発信できるというのが最大の特徴であります。
このようなブログもその一つでありますし、ツイッターなんていうのも然りです。
「風呂入った、なう。」などというツイートもあり、個人のたわいもない生活が情報の一つとして存在しています。
そういったものとは別に、ずいぶん前から掲示板というのがあり個人の意見、思い、考えが公開されています。
こういうネット社会の現実に対して、法的にも倫理的にもモラル的にもいろいろなルール作りが必要になり、時には社会的問題を引き起こしているのも事実です。
私もどちらかというとネット社会にどっぷり浸かっている生活をしていますので、ユーザーとしてそういった意識を強く持たなければならないと感じています。
いずれにしても、一方通行のメディア時代よりも遥かによくなったと思います。
政治に対するものの見方はよっぽど政治学を学んでいない限り難しく、メディアの見方に影響されるのは現実ですが、ネット社会の情報量の多さにより政治も民意主導になってきたんだと思います。
以前、私がツイッターで、
「今、日本人に必要なのは、自分自身の頭で考えること、自分一人で考えることである。インターネットに代表されるネットワーク時代というものは、他人の真似をしていては駄目だ。自分が受信者であると同時に、発信者でもなければならない。」
という大前研一さん(経営コンサルタント)の言葉をツイートしたことがあります。
情報を受けるばかりでなく、発信するというのが大事なんだと思います。
ただ、メディアに対する個人個人の関わり方も非常になってきます。
情報を判断する覚悟、発言する覚悟が必要です。


そこで、今日の本題です。
個人の主義主張にはどうしてもその内容に批判的要素を伴うものです。
言論の自由と名誉毀損などがぶつかり、裁判沙汰になることもあるようですが、私は法律的なことに詳しくないんですが微妙な問題があります。
人が批判するときは批判する場所があります。
面と向かって批判するときもあるでしょう。
ディベートの場で批判し合うこともあるでしょう。
そして、メディア媒体の場で批判し合うこともあるんです。
それこそネットの掲示板なんか見てると批判合戦で、だんだん言葉も下品になって、PCの画面見てるだけなんですが尋常ではない状況が伝わってくることもあります。
私は、批判は決して悪だとは思いませんが、せめてもっと上品に批判し合って欲しいと思います。
私が問題視すべき点は、その批判し合う場所を批判することについてであります。
例えば、ツイッターでツイッターの批判をするということです。
ツイッターという場を批判するならツイッターじゃないところで批判したらいいと思うんです。
〈在り方論〉を論じることはあると思います。
新聞はこう在るべき、テレビはこう在るべき、というようなものです。
掲示板とかツイッターとかブログなどは個人の主義主張をのせることができる新しいコンテンツです。
〈在り方論〉を論じても、様々な個人が交わることがウリの世界においてはそれが蛇足になると思います。
在り方を定義付けできないということです。
ある意味では、いろんな人がいるという〈在り方論〉が成り立つのかもしれませんね。
いろいろな人が入って来れる場所なのに、「そういう考えの奴は入ってくるな」といって排除しては駄目です。
自分の考えに合わない人間が入ってくると、「もうこの世界(フィールド)はつまらない」と言うようなものです。
こういう世界に関わるという時には、様々な個人がいるのを前提にて、その一人一人が自由に主張できるという場を尊重しなければならないと思います。
その中でそれぞれの主義や意見を批判し合ったらいいんじゃないでしょうか。
あらためて、申し上げますがあくまでも法的、倫理的、モラル的なことは無視してはいけません。

2010年9月14日火曜日

猫問題

ウチの寺には猫がたくさんいます。
といっても、飼っている訳ではありません。
住み着いているのか、他所から来るのかもわかりません。
何匹いるのかもわかりません。
たまに子猫を捨てにくる人もいます。
しかも、段ボールに何匹も詰めて。
昔から神社や寺にはこういったことが頻繁に起こっているんだと思います。
野良猫や他所の飼い猫が境内をうろうろするのは仕方ないことだと思います。
しかし、猫を捨てにくるのは許せません。
無責任です。
ウチも面倒見れないので、ほっておくと死んでしまうときもあります。
そんなときは面倒を見なかった自分自身にも責任を感じてしまいます。
こんなこともありました。
よくお寺の横を通る方が、餌を定期的に与えているんですね。
その方に「餌を与えないでください。そんなに猫が好きなら連れて帰ってください。」と言いましたが、「自分は飼えないので連れて帰れない」と言いました。
なぜ、困るのかと言えばゴミをあさったり、糞や尿をどこでもするからです。
実際、野良猫や他所の飼い猫にも本当に悩まされています。
正直、猫好きな人なら面倒見たりしてかわいがるところでしょうけど、ウチの家族は動物にほとんど興味を持ってないものですからどうしていいことやら。
動物を虐待してはいけないのは当然ですが、こういうことで困っている場合、何かいい方法はないでしょうか。
本当に困ってます。

2010年9月13日月曜日

開かれた寺、寺の敷居問題

寺の課題として、寺を開くということが挙げられています。
閉鎖的な寺でなく、もっと大衆・民衆にとって身近な存在になるべきだということです。
特に若い世代の人がもっと足を運べるような寺になるべきだということが重要視されています。
もっともだと思います。
そのために様々な工夫がなされています。
お稽古ごとなどをして、足を運んでもらう。
コンサートや演劇、落語の会などを催す。
パーティーのような会を催す。
あの手この手で、少しでも寺を身近に感じてもらい、寺は決して堅苦しいところではないということをアピールします。
マスメディアなどで紹介されてますが、都会の寺はもっと斬新な工夫がなされているようです。
数年前、築地本願寺で超宗派の僧侶が僧衣のファッションショー「東京ボーズコレクション」を開いたのは有名な話です。
その他、ダンスとラップで法話会をしたり、高野山では毎年東京のホテルや、デパートなどで出張カフェや精進料理、写経などのイベントを開催したりということがあるようです。
この前、テレビで見たんですが東京八王子の了法寺という寺院は独自のアニメキャラなどをつくってお寺をアピールしているようです。
私のところ西福寺では、このような寺の開放ということに対する工夫に関して必要は感じていますが、現在のところ特別な取り組みは行っていません。


一方、そういったことに対して批判的な考えを持つ方も多いのは事実です。
批判的な理由は、いくつかあるようですが、どちらが正しいともいえないような気がします。
一応真宗寺院の意義、意味合いからすると寺が開かれることは本義だと思います。
しかし、こんな考え方の寺もあります。
高い塀に囲まれた寺院が、朝決まった時間に門が開き、夕方同じ時間に閉門するような形態は、いつでもどこでも誰にでも開かれた寺院像からすると対照的に閉鎖的なように思えるが、その方がむしろお寺にとってはいいという考え方です。
その理由は、敷居が高い方が大衆・民衆に対して崇高なイメージを与え、ありがたい場所だと感じさせる効果があるということです。
そういえば、真宗では絶対に考えられないことですが、何年かに一度だけ本尊を御開帳するというような寺がありますが、そういった寺は非常に人気が高いですね。
大衆・民衆は寺にそういった崇高でありがたい場所であることも望んでいるのも事実です。
教えよりもその場の空気感が宗教的意味を持つこともあると思います。
なんだか落ち着く、癒されるという雰囲気も寺の役割として大事な要素ではないでしょうか。


話は寺の敷居を低くすることに戻しますが、いろいろな工夫や試みも大事だとは思いますが、現代という時代からして根本的にお寺の敷居が高いと思われている原因があると思っています。
それは、ほとんどの寺が土足のままは入れないということです。
当然、お寺に限らず日本の生活様式は伝統的に建物の中では土足を脱ぐようになっています。
特に真宗寺院は聞法道場の場として存在しおり、参詣して仏教の教えを聞く場ですから、畳の間(外陣、参詣席)が広くなっています。
ほとんどの古くからの寺院は土足では入れません。
しかし、最近建て替えたりした寺院では土足のままは入れることがあるようです。
先ほども名前が出ましたが、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の築地本願寺は現在の建物が昭和初期に建てられたものですが、土足のまま入れます。
東京・築地本願寺
築地本願寺の場合、もともと有名寺院でもありますし、有名人の葬儀が執り行われるなど人の出入りの多い環境にありますが、この土足のままは入れるというのは人の出入りに大きく影響してると思います。
私も何度か行ったことがありますが、土足じゃなかったら外観からの見物で終わる人も多いんじゃないかと思います。
同じく浅草の東京本願寺(浄土真宗東本願寺派、1981年に大谷派から離脱)も土足のままは入れます。
東京浅草・東京本願寺
東京本願寺の参詣席
この前、奈良の東大寺に行きましたがここも土足で入れるので、修学旅行生も含め人の流れがすごいです。
奈良・東大寺  建物内も土足のままで参拝できます
外国にも東本願寺の別院や寺院がいくつかあります。
当然、どこも土足で入れるようになっています。
ちなみにハワイの別院には行ったことがありますが、土足で入れました。
東本願寺」ハワイ別院
ハワイ別院内陣
真宗本廟(東本願寺)は土足では入れません。
東本願寺・御影堂
階段の下で履き物を脱ぐようになっています
土足禁止だとこんなことできるメリットもあります(7年前の写真)
年に何度も本願寺には行きますが、とにかく広いので履き物を脱いだ場所に戻るのが大変なので、脱いだ履き物を持って歩かなければなりません。
昔はそれが当然だったんですが、西洋文化のあおりか履き物を履いたり脱いだりするのが面倒になりました。
確か、西本願寺は蓮如上人の500回御遠忌の時畳の上にコンパネ引き詰めて土足ではいれるようにしてたんじゃなかったですかねえ。
私も参拝しましたが、これいいなあって思った記憶があります。
ちなみに、今度の宗祖親鸞聖人750回御遠忌は東本願寺も同様にするみたいです。
外国人は家の中でも土足の文化だから、よく人の家に集まってパーティーなんか開きますよね。
家に入るのが気軽なんだと思います。
日本は人の家に上がるのは、ちょっと躊躇しますね。
上がってくださいといわれても、遠慮するのは敷居が高いようになっているんだと思います。
外国の教会などは気軽に入れると思います。
お寺も「どうぞお気軽に参詣ください」という気持ちで受け入れているんですが、案外勝手に入ってはいけないと思われてるところがあるんではないでしょうか。
もしかして、あの階段の時点で面倒なのかもしれませんね。
まあ、世間や時代に迎合すればいいってもんじゃないですが、こういったことがお寺の敷居を高くしている原因ではないかと思っています。

2010年9月11日土曜日

大分市組 所長巡回、門徒会研修

9月10日、大分市組の「日豊教務所長各組巡回」が光西寺様で開催されました。
宗派、教区からの御依頼、教化指針、取り組みなどについての説明をいただくのがこの会の趣旨であります。
日豊教務所より隈部所長、梛野主計がご出向くださいました。
大分市組内20ヶ寺の寺族、各寺の門徒役員さんが合計約50名程が出席しました。


主な伝達事項は以下の通りです。


  1.宗派、教区御依頼について
  2.御遠忌修復懇志金のお扱いについて
  3.日豊教区・四日市別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌、並びに四日市別院修復事業について
  4.門徒戸数調査結果に基づく新割当基準について
  5.宗祖御遠忌教区団体参拝について
  6.宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌を機とする日豊教区総合推進委員会について
  7.教区教化研修計画について
  8.真宗大谷派本廟維持財団提訴につて
  9.御依頼割当基準策定に関する条例・門徒戸数調査に関する条例の一部改正について
 10.四日市別院関係について


以上であります。


ご門徒さんからは維持財団提訴の問題のことについて等の質問がありました。
会のはじめに、大分市組の納金完納証が隈部教務所長より荷堂組長(常念寺住職)に渡されました
隈部教務所長(左)と梛野主計(右)
光西寺ホールでの会の様子


引き続き、日豊教区選出の宗議会議員、長久寺徳瑞議員(大分市組長久寺前住職)さんから宗派の動き、取り組みについてご報告がありました。
長久寺さんは現在、宗議会議長という非常に重要な要職をなさっておられまして、真宗大谷派という教団の存在意義を改めて熱弁されておられました。
特に見真大師号の問題について歴史的検証をもって語られ、我々も門徒としての大事な課題をいただきました。
長久寺徳瑞議員(長久寺前住職)


さらに、この日は大分市組門徒会の研修として、「真宗の葬儀」ということにつての学習会がありました。
大分市組ではこれまで約4年間ほどにわたって、仏事の回復という課題から真宗としての葬儀のあり方について学習と研究、協議を行ってまいりました。
今年7月にはようやく大分市、別府市などの葬祭者との合同協議会を持つことができ、今後は真宗の教義にそった本来的姿の葬儀が執り行われていくものだと思います。
「真宗の葬儀」の研修会、講師の大友優さん(光西寺若院)


閉会後は、年に一度の大分市組、寺族・門徒会合同の親睦懇親会が行われました。
僧俗の垣根を越えて大分市組の将来などを語り合い、充実した会となりました。
光西寺近くの「与一」での懇親会、荷堂組長の挨拶
宮崎門徒会会長(等応寺門徒)の乾杯のご発声
自坊、西福寺門徒の朝来野真清さん(中央左)と四童子覚さん(中央右)も参加
ほろ酔い気分の長久寺議員と宮崎門徒会長
最後は大分市組若手で「真宗を語る会」を名目に二次会、三次会・・へ
日付変わった頃には11日誕生日のテッシーの誕生祝いに突入

2010年9月9日木曜日

会議 in 熊本

9月8日、今年度1回目の「九州連区青少幼年教化事業連絡会」が開催され、熊本教務所に出向しました。
この会議は、九州の日豊・久留米・長崎・熊本・鹿児島の5教区が連携し、青少幼年対象の教化事業に関する情報交換などをとおして、各教区の充実した活動に繋げていくためのものです。
私もこの会議には、はっきり覚えませんが約15年くらい関わっていると思います。(途中3年ほど担当を離れていました)
各教区から青少幼年教化に関わる代表者がそれぞれ3〜4名、合計約20名が参集しました。
メンバーを見渡すと、熊本の福嶌さんと私が古参メンバーでした。
今年度は、日豊教区が当番教区にため、該当教区の幹事である私が座長でありました。
各教区の報告はいつもながら非常に参考になり、自教区へ持ち帰るお土産が多くこの会の意義を感じます。
その他、本山の動きなども報告がありました。
熊本の福嶌さんは、本当に長年にわたってご尽力いただき青少幼年教化を引っ張ってくださっています。
まさに、この会のエキスパート的存在といってもいいと思います。
この方には、60、70歳になっても青少幼年教化に携わってほしいですね。
お人柄も凄くいい方で、今回もお会いできて嬉しかったです。
この日の協議の中で、この会は通常年2回の会議を開催していますが、今年度は御遠忌の関係で時間を割くことができないので、この1回しか開催できないという結論になりました。
次年度は、任期改選でメンバーが変わることが予測されますが、次年度以降の方向性は変則的ですが新メンバーで協議していただくということです。
この日の出席メンバーのほとんどが、今年度1回開催の方向に賛成という雰囲気だったので私は主張できませんでしたが、私個人としては、無理にでも時間を割いてもう1回開催すべきと考えていました。
私は閉会の挨拶で少し申し上げたんですが、忙しいという言い訳で消極的になっていること自体がある意味問題だと思います。
青少幼年教化が盛り上がらない、充実しないという原因はここにあるのかもしれません。
携わっている人間がそういう意識なんです。
何にしてでもそうですが、「無理をしてでもやろう」という意気込みがなければ、なかなか力が生まれないものだと思います。
しかし、事務方の宗務役員、教務所員さんの忙しさは半端じゃないので、私たちの意気込みだけを主張できないのも正直なところです。
とりあえず、私は私のところで、青少幼年教化を真剣に取り組むことが課題です。

熊本教務所入り口
呉服町電停の前です。
熊本教務所、本堂
本堂内部
熊本教務所
数年前建替えました。立派な会館です。
熊本教務所2F、仏間

2010年9月7日火曜日

大分川河川敷レポート

私の趣味はジョギングです。
様々なコースを走りますが、フランチャイズコースは大分川河川敷です。
大分川河川敷は河口より賀来橋まで、約10kmにわたり堤防の上下に歩行者自転車専用道路がついています。
その間をいろいろな組み合わせで、10〜20kmほどの距離をだいたい週5日くらい走っています。
ほぼ毎日走ってますと、本当にいろんな発見をします。
そこで、今日は河川敷について語らせていただきます。
上流から下流にかけて道は繋がっていますが、河川敷の景色はかなり違います。
はっきりいうと、河口に近い舞鶴橋周辺はとてもキレイなんですが、上流に行くにつれてだんだん整備の度合いが低くなっているように思います。
私は河口から川沿いにかけて、約8.5kmくらいの所に住んでるもので、住民からすれば不益というか格差を感じてしまいます。
約10kmの間はどこもジョギング、ウオーキング、犬の散歩、サイクリング、通勤、通学、車椅子ランナーなど人の往来がまんべんなくあります。
しかし、くつろいでる人や遊んでいる人の数は河川敷の整備されたところの方が圧倒的に多いです。
つくづく環境整備って大事なんだなあと思います。
キレイな町づくりや町並みは人のこころを豊かにすると思います。
ゴミのポイ捨て一つとってもキレイなところでは捨てにくくなったりということがあるのではないでしょうか。
東京は結構キレイなところが多くなったと思います。
場所にもよるんだと思いますが、外国も観光地に限ってはどこもキレイだと思います。
こういうのが治安の善し悪しにも繋がるんだと思います。
ニューヨークのハーレムなんかも最近はキレイになって、昔ほど危なくないと聞いたことがあります。
もちろん経費のかかることなんでどこもという訳にはいかないでしょうが、なるべくそういうところにお金を使って住民のこころが豊かになる社会を推進することも大事だと思います。
以下、写真で様子をレポートします。
弁天大橋〜舞鶴橋付近(河口より1〜2km)
この辺はとてもキレイで、公園的役割をもちます。
夕方涼んでいる人、昼間はサラリーマンの人が休んだり、子連れで遊んでる人も多いです。
草刈りも頻繁に行われているし、夜も多くの街灯があって安全です。
舞鶴橋付近
こんな、トレーニング器具もあります。(市が設置したらしい)
舞鶴橋〜滝尾橋付近(河口より2〜3km)
ちょっと上流に来るだけで、ただの河原になります。
滝尾橋上流付近(河口より3.5km)
野球のグランドがありますが、その周辺は草野原です。
同じく滝尾橋上流付近(河口より3.5km)
せっかく広い場所があるのに草を刈ってないので立ち入りにくいです。
広瀬橋下流付近(河口より4.5km)
堤防と川岸の間にかなり広範囲に竹やぶがあり、中はうっそうとしてゴミなども多いです。
同じく広瀬橋下流付近(河口より4.5km)
堤防と川岸を竹やぶが遮断しています。
対岸もうっそうとしています。
広瀬橋上流付近(河口より5km)
この日も除草作業をしていました。
いつもいずれかのところで行われていますが、頻度に格差があります。
経費はかなりかかると思われるので、いつもどこもキレイっていう訳にはいかないでしょうね。
縦割り行政の極みです。
国土交通省、県、市などの管轄のことでこうなります。
堤防上の道路の管轄がその周りの除草を請け負いますので、1メートル幅位で草が残ってます。
どうにかならないんでしょうか?
広瀬橋上流付近(河口より5.5km)
この時期、堤防付近はキレイに草が刈られてます。
野球のグランドがありますが、周りが草むらと薮なのでいつもボールを失ってます。
広瀬橋〜府内大橋付近(河口より5.5km)
昨年、この辺は「ホタルの散歩道」と称して1.5kmにわたって、15mおきに歩道灯が設置されました。
こういうのが、社会的に効力があると思うんです。
夜はとてもキレイです。
ただ残念なことに、設置後すぐに2,3基壊されるいたずら(ニュースになった)に遭いました。

府内大橋下流付近(河口より6km)
この辺も河川敷に広い場所があるんで、公園的な雰囲気に整備できないですかねえ。
学校もありますし、人口も多い地区なんで価値があると思うんですが。
府内大橋下流付近(河口より6km)
この辺はよくバーベキューなどをしている団体が多いですが、決してロケーションはよくないです。
逆にあまりキレイに整備すると、最近話題になってる都会の河川敷でのバーベキューマナーの悪さというような問題を引き起こすことになるんですかねえ。
府内大橋上流付近(河口より7km)
野球場などがあり、利用者も多いし、時にはイベントなども行われるところです。
だからこそ、もっと整備を望みます。
府内大橋〜明磧橋付近(河口より7〜8km)
この間は約1kmくらい、こんな感じです。
川岸に木が多く堤防から川が見えません。
防災のためにこれらの木は必要なのかもしれません。
この辺の河原でくつろいだりしている人は皆無と言っていいです。
この辺から、賀来橋までは街灯もなく夜は真っ暗です。
女性の方などは絶対一人で通らない方がいいと思います。
府内大橋〜明磧橋付近(河口より7〜8km)
たまたまですが、堤防の上の道沿いは賀来橋まで草が伸び放題です。
時期がたまたまとはいえ、舞鶴橋付近とは除草頻度の格差があるのは確かです。
明磧橋下流付近(河口より8km)
この辺も川岸にほとんど近づけません。
世間では子どもたちに川に行ってはいけませんといいますが、それは整備してないからです。
整備すればそれほど危険な場所ではないと思います。
不審者なども絶対減ると思います。
明磧橋上流付近(河口より8.5km)
この辺りは私の自宅から50mくらいのところです。
河原がもっとキレイに整備されると人が集まり、地域コミュニケーションの場になるはずです。
私が子どもの時分は草滑りやつくし取りなどして遊んだものですが、今はほとんど子どもを見ません。
明磧橋上流付近(河口より9km)
ここから賀来橋までの約1kmはこんな感じが続きます。
これは堤防沿いにある車道側の様子
草がもう少し伸びるととても危ないんです。
縁石が見えなくなり車がよく堤防にぶつかってます。
それと堤防から降りてくる人が車から見えなく、事故に繋がるということです。
この辺は是非なんとかしてほしいです。