東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2010年9月13日月曜日

開かれた寺、寺の敷居問題

寺の課題として、寺を開くということが挙げられています。
閉鎖的な寺でなく、もっと大衆・民衆にとって身近な存在になるべきだということです。
特に若い世代の人がもっと足を運べるような寺になるべきだということが重要視されています。
もっともだと思います。
そのために様々な工夫がなされています。
お稽古ごとなどをして、足を運んでもらう。
コンサートや演劇、落語の会などを催す。
パーティーのような会を催す。
あの手この手で、少しでも寺を身近に感じてもらい、寺は決して堅苦しいところではないということをアピールします。
マスメディアなどで紹介されてますが、都会の寺はもっと斬新な工夫がなされているようです。
数年前、築地本願寺で超宗派の僧侶が僧衣のファッションショー「東京ボーズコレクション」を開いたのは有名な話です。
その他、ダンスとラップで法話会をしたり、高野山では毎年東京のホテルや、デパートなどで出張カフェや精進料理、写経などのイベントを開催したりということがあるようです。
この前、テレビで見たんですが東京八王子の了法寺という寺院は独自のアニメキャラなどをつくってお寺をアピールしているようです。
私のところ西福寺では、このような寺の開放ということに対する工夫に関して必要は感じていますが、現在のところ特別な取り組みは行っていません。


一方、そういったことに対して批判的な考えを持つ方も多いのは事実です。
批判的な理由は、いくつかあるようですが、どちらが正しいともいえないような気がします。
一応真宗寺院の意義、意味合いからすると寺が開かれることは本義だと思います。
しかし、こんな考え方の寺もあります。
高い塀に囲まれた寺院が、朝決まった時間に門が開き、夕方同じ時間に閉門するような形態は、いつでもどこでも誰にでも開かれた寺院像からすると対照的に閉鎖的なように思えるが、その方がむしろお寺にとってはいいという考え方です。
その理由は、敷居が高い方が大衆・民衆に対して崇高なイメージを与え、ありがたい場所だと感じさせる効果があるということです。
そういえば、真宗では絶対に考えられないことですが、何年かに一度だけ本尊を御開帳するというような寺がありますが、そういった寺は非常に人気が高いですね。
大衆・民衆は寺にそういった崇高でありがたい場所であることも望んでいるのも事実です。
教えよりもその場の空気感が宗教的意味を持つこともあると思います。
なんだか落ち着く、癒されるという雰囲気も寺の役割として大事な要素ではないでしょうか。


話は寺の敷居を低くすることに戻しますが、いろいろな工夫や試みも大事だとは思いますが、現代という時代からして根本的にお寺の敷居が高いと思われている原因があると思っています。
それは、ほとんどの寺が土足のままは入れないということです。
当然、お寺に限らず日本の生活様式は伝統的に建物の中では土足を脱ぐようになっています。
特に真宗寺院は聞法道場の場として存在しおり、参詣して仏教の教えを聞く場ですから、畳の間(外陣、参詣席)が広くなっています。
ほとんどの古くからの寺院は土足では入れません。
しかし、最近建て替えたりした寺院では土足のままは入れることがあるようです。
先ほども名前が出ましたが、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の築地本願寺は現在の建物が昭和初期に建てられたものですが、土足のまま入れます。
東京・築地本願寺
築地本願寺の場合、もともと有名寺院でもありますし、有名人の葬儀が執り行われるなど人の出入りの多い環境にありますが、この土足のままは入れるというのは人の出入りに大きく影響してると思います。
私も何度か行ったことがありますが、土足じゃなかったら外観からの見物で終わる人も多いんじゃないかと思います。
同じく浅草の東京本願寺(浄土真宗東本願寺派、1981年に大谷派から離脱)も土足のままは入れます。
東京浅草・東京本願寺
東京本願寺の参詣席
この前、奈良の東大寺に行きましたがここも土足で入れるので、修学旅行生も含め人の流れがすごいです。
奈良・東大寺  建物内も土足のままで参拝できます
外国にも東本願寺の別院や寺院がいくつかあります。
当然、どこも土足で入れるようになっています。
ちなみにハワイの別院には行ったことがありますが、土足で入れました。
東本願寺」ハワイ別院
ハワイ別院内陣
真宗本廟(東本願寺)は土足では入れません。
東本願寺・御影堂
階段の下で履き物を脱ぐようになっています
土足禁止だとこんなことできるメリットもあります(7年前の写真)
年に何度も本願寺には行きますが、とにかく広いので履き物を脱いだ場所に戻るのが大変なので、脱いだ履き物を持って歩かなければなりません。
昔はそれが当然だったんですが、西洋文化のあおりか履き物を履いたり脱いだりするのが面倒になりました。
確か、西本願寺は蓮如上人の500回御遠忌の時畳の上にコンパネ引き詰めて土足ではいれるようにしてたんじゃなかったですかねえ。
私も参拝しましたが、これいいなあって思った記憶があります。
ちなみに、今度の宗祖親鸞聖人750回御遠忌は東本願寺も同様にするみたいです。
外国人は家の中でも土足の文化だから、よく人の家に集まってパーティーなんか開きますよね。
家に入るのが気軽なんだと思います。
日本は人の家に上がるのは、ちょっと躊躇しますね。
上がってくださいといわれても、遠慮するのは敷居が高いようになっているんだと思います。
外国の教会などは気軽に入れると思います。
お寺も「どうぞお気軽に参詣ください」という気持ちで受け入れているんですが、案外勝手に入ってはいけないと思われてるところがあるんではないでしょうか。
もしかして、あの階段の時点で面倒なのかもしれませんね。
まあ、世間や時代に迎合すればいいってもんじゃないですが、こういったことがお寺の敷居を高くしている原因ではないかと思っています。

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