東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2011年2月13日日曜日

気になる言葉の使い方

先程のブログでちょっと思い出したので、関連した余談をいくつか申します。

【若者言葉】
俗に「若者言葉」というものがあります。
流行りの言葉表現とでもいいましょうか、正式には認められてはないでしょうけど新しい日本語の使い方として最近よく世間で耳にするものです。
年甲斐もなく私もついつい使ってしまうことがあります。
しかし、やっぱりいくつかどうしても気になるものもあります。
例えば「ヤバイ」という言葉です。
「ヤバイ」という言葉は本来「具合の悪い様」「不都合」を意味する形容動詞「やば」を形容詞化したもので、もとは盗人や香具師の隠語であったようです。
つまり否定的というかどちらかというとネガティブな意味合いで使う言葉だということです。
しかし、最近は美味しい物を食べて「やばいくらい美味しい」などの使い方がされるなど肯定的な場面でも使われています。
どうやら80年代頃より若者言葉として「格好悪い」の意味で使われるようになったようで、さらには90年代頃から「凄い」という意味合いで肯定、否定に関わらず使われるようになったようです。

一方「全然+肯定形」の表現も若者言葉のように受け止められています。
「全然大丈夫」とか「全然美味しい」というような使い方です。
この使い方はおかしいんじゃないかといわれています。
確かに「全然」ときたらその後は打ち消しや否定の言葉が続くと教えられたような気がします。
しかし辞書には「全く」「完全に」「まるっきり」「すっかり」「全面的に」などの意味があり、肯定形を伴ってもおかしくない言葉であります。
言葉というものは時代とともに使われ方が変わってきたようですが、少なくとも明治時代頃からは「とても」という意味の使われ方をしていたようです。
夏目漱石も小説の中で肯定形を伴って使っていたようです。
ですから、若者言葉が本来正しかったという例もあります。

【自分の呼び方】
小さい子どもが自分のことを「〇〇ちゃん」とか「〇〇くん」とか自分の名前で言ってますが、如何なものかと思います。
まあ、小さいうちは許されるかもしれません。
ただ、女性に多いですが大人になっても自分のことを名前で呼ぶ人がたまにいます。
これはおそらく小さい時に「わたし」という一人称を使ってなかった癖が抜けないんだと思います。
許される小さい子といっても私の感覚からすると小学校就学前までが限界と感じます。
小学生で自分のことを名前で言ってると「親は何も言わないのだろうか?」と思ってしまいます。
私はウチの子どもには小さい時から一人称を使わせています。
他人の子どもでも、何度か子ども本人に「おかしいよ」と注意したことがあります。
今、小さいお子さんがいらっしゃる方ちゃんと躾をしましょう。

【申される】
ウチの宗門(真宗大谷派)の関係者に多く見られる表現に「申される」という言葉があります。
「〇〇さんが申されたように〜」というような表現をする方が非常に多いです。
「申す」というのは「言う」の謙譲語であります。
それに「れる」という尊敬の言葉をつけるというのはおかしいです。
「言う」の尊敬語は「仰る」ですから、「仰られる」が正しいはずです。
しかし、時代劇などで「殿が申される」などという言い回しをしています。
実は古典では「申す」が「言う」の丁寧語であったようです。
ですから時代劇などでそういう言い回しをするのはある意味歴史的に忠実な演出であります。
『平家物語』や『太平記』『徒然草』などでも頻繁に出てくるようです。
しかし、色々と調べてみましたが現代においてそういった使い方をするのは誤法であるのは間違いないようです。
確かにお寺の世界では古典的表現、古文体の表現が使われることもありますが、会話の中で使われるのは如何なものかと思います。

以上言葉の使い方に関しての気になる点を述べました。
また、気になることがありましたらブログします。

身内の「さん付け」

以前からちょっと気になっていたことがありますので、ブログします。
それは自分の身内を他人に話すとき「さん付け」している人が多いということです。
両親に対して「お父さん」とか「お母さん」と呼ぶのは当たり前なんですが、他人に言うときは「父」や「母」が日本人の常識じゃないでしょうか?
その傾向は、特に芸能人やスポーツ選手などの有名人に多く、とても気になります。
正直、10代の若い子なら分からないでもないですが、30代や40代、どうかしたら50代のいい歳の方でも平気で使ってます。
一般人の方がちゃんと使えてるんじゃないでしょうか?
テレビのニュースかなんかで、中学生くらいの子にインタビューしたのが流れたりすることがありますが、ちゃんと「父が」とか「母が」って言ってますよ。
あまりにも「さん付け」する人が多いので、日本語としてそういう使い方が「良し」とされるようになったのかと思います。
まさか、常用漢字などが追加されるように、数年前から他人に話すときでも「さん付け」してもよくなったんじゃないでしょうね。
まあ確かに、親しい人に話すときはかしこまりすぎるので、わざわざ「父」とか「母」とは言わないです。
男性の場合は「オヤジ」とか「おふくろ」、兄弟であれば「兄貴」とか「姉貴」とも言います。
これならテレビで聞いてもさほど違和感はありません。
何度も言いますがやっぱり「お父さん」や「お母さん」などは引っかかります。
芸能人などは事務所とかが注意しないんでしょうか?
芸能界は結構礼節を重んじる(意外にも)と聞いていますが、どうなんでしょう?
それこそ、ご意見番的立場となっている和田アキ子やマツコ・デラックスあたりが注意したらいいのにと思います。
最近スポーツで活躍する若者が多いですが、インタビューなどで「お母さん」とか言ってると幻滅します。
そういうところを含めて成長して欲しいです。
あの石川遼も「さん付け」して呼んでますね。
残念です。
ウチには中1、小5、小2の子どもがいますがこのことは躾として徹底させたいと思っています。
あまり小さい子どもが「父」や「母」というのも不自然ですが、小学校高学年くらいであれば「父」「母」でもおかしくないと思います。
逆に自分の子どもを普段「〇〇くん」「〇〇ちゃん」と呼んでいたとしても、他人に話すときは呼び捨てにするのが常識です。

謙遜や謙譲というのは日本人の持つ美学でもある謙虚な姿勢のあらわれです。
「お仕事は何ですか?」と聞かれ、「私のお仕事は〇〇です」という人もいます。
あれも変です。
人は身びいきになったり、身内自慢をしがちな面を誰しももっていますが、そういう発言をするにしても「手前味噌ですが」とか「身内が言うのもおかしいですが」と「ことわり」の言葉をつけるという手法を持っています。
確かに日本語は難しいです。
敬語や謙譲語は特に難しいといわれています。
こんな発言をしていながら、私自身がきっちりと使えていないんだろうという反省もあります。
いずれにしても有名人というのは影響力が大きいいので、気をつけていただきたいと思います。
さすがに流行となった「トイレの神様」の歌詞にでてくる「おばあちゃん」が「祖母」という言葉で歌われていたら全く雰囲気が出ないですね。

2011年2月12日土曜日

2011御正忌報恩講の仏華

先月の当寺院の御正忌報恩講の仏華についての報告が先送りになってましたので、改めてブログいたします。

仏華とは仏前に供える花のことであります。
真宗大谷派の仏花は、長く池坊の立花(たてはな)に源を発し、現在のような仏華として発達してきました。
普通の生花や、盛花、投げ入れ等とは趣を異にしたいわゆる立花式の挿し方を正式とします。
江戸期には池坊との交流があり、その代表たる人が尊前の立花を立てたという事実もあるようです。
ちなみにそもそも池坊のいけばなというのは、仏前に供えるための花を形式化したものであります。
原則的には立花と同様に九つの役枝を基本といたします。
九つの役枝とは、真、正真、副、受(請)、流枝、控()、見越、胴、前置というものであります。
この役枝にあしらいとなる役枝を加え複合的にバランスよく挿し交えて、仏教的宇宙観を表現いたします。
九つの役枝
しかし、このように池坊の生け方に由来するとはいえ、床の間に生ける生け花とは違い本堂に似合った形のものなので池坊のいけばなとは異なる点もあろうかと思います。
また、豪華に見せたり、すっきりとしたりいろいろな形で表現できると思います。
そのお寺お寺での立て方もあると思います。

さて、当寺院の仏華についてです。
昔はどこのお寺でもそうでしたが、お寺の仏華を立てるグループに「華講」さんという方々がいました。
現在も華講があるお寺もありますが、残念ながら当寺院は何十年か前になくなりました。
現在はご門徒の方にお手伝いいただき、私が仏華を立てています。
一日半から二日間の作業となります。
以下、今年の仏華を紹介します。
まずは幹となるボクを組み立てます(中尊一対)
右が祖師前のボク
中が御代前、左が余間で真を立てた状態
中尊用の五葉松
祖師前用の三光松
胴に使うことぶき松
花材はご門徒の石田生花店さんに用達いただいてます
主要となる役枝を配置した状態
(中尊一対)
ボクに松の葉をつけていきます
なるべく自然な松の枝ぶりに見せかけるのが難しいです
主要となる役枝を配置した状態
(祖師前、御代前、余間)
中尊の本勝手(左)
中尊と祖師前は真の枝に動きがある除真(のきしん)の仏華
中尊は五具足なので一対の仏華です
左右対称にするのが苦労します
祖師前
御代前
御代前と余間は真が真っ直ぐに立つ直真(すぐしん)の仏華
余間
御内仏
中尊左のの斜めから
中尊右の後方より
後ろからも細工が見えないようにします
祖師前の横から
前後の立体感を出すのが重要です

2011年2月6日日曜日

大分市組ランニングクラブ

今日は「別府大分毎日マラソン」がありました。
この大会については、今ブログ昨年12月5日の「別大国道ランニングレポート」にて触れましたので割愛します。
今年は第60回の記念大会でした。
昨年からコースが変わりましたが、今年は更に参加資格が2時間50分から3時間30分に緩和されたことと、30年ぶりに女性ランナーの参加が認められたことなどで、約2000人と史上最多の参加選手数となったようです。
今日は若干気温が高いようでしたが、好天の中で素晴らしい大会となったようです。
結果は、モロッコのアハメド・バダイ選手(37)が2時間10分14秒で初優勝しました。
日本人選手では九電工の前田和浩選手(29)の3位が最高でした。
別大毎日マラソンの様子
アハメド・バダイ選手(ゼッケン3)
前田和浩選手(ゼッケン14)
藤田敦史選手(ゼッケン12)
この別大毎日マラソンのゴール地点が大分市営陸上競技場ですが、この付近は私がランニングコースとしてよく利用する場所です。
私の母校が大分市営陸上競技場の南側に隣接する大分舞鶴高校ですが、この高校では冬場の体育の授業で「ドテラン」というのがありました。
土手を走るのでドテランです。
学校は大分川河口付近に接しており、学校に前の堤防をスタートし弁天大橋を渡り、対岸を南下し舞鶴橋を渡って戻ってくるというのがコースです。
コース航空写真図
北に弁天大橋、南に舞鶴橋
大分市営陸上競技場(by google Panoramio)
弁天大橋(by google Panoramio)
弁天大橋と大分市営陸上競技場(by google Panoramio)
舞鶴橋(by google Panoramio)
1周2.3kmのコースを男子は2周、女子は1周します。
体育の授業でなくても各部活動のトレーニングとしてもよく走っていました。
今でも在校生がよく走っているのを目にします。
学校は私の自宅から約6kmくらいのところにありますが、このコースを何周も走るときは車を陸上競技場に止めて走っています。

2年ほど前、大分市の真宗大谷派のお寺(大分市組)の若手組の運動不足に見かねた私がランニングを呼びかけたことがありました。
それで大分市組ではドテランが流行りましたが、しばらくして消滅してしまいました。
私はそれ以前からもそうですが今でも続けています。
しかし、最近また若手組の運動不足が気になってきたので再度呼びかけをしました。
早速「やりましょう!」ということになって本日より再開?しました。
くしくも別大毎日マラソンと同日となりました。
17時に陸上競技場前の堤防集合でした。
マラソンの後片付けなどでまだまだ賑わっている競技場でした。
私は中1の長男と一緒に行きました。
さて、何人集まるかなあと思っていましたが、結果集まったのは私たち2人を含め5人しかいませんでした。
ちょっと再開日?としては寂しい人数です。
しかし、前回は参加していなかった新人2人が参加したのは嬉しいことでした。
長男、惟眞(中1)の力走
2年前よりかなりスピードアップしてました
今回ダントツの速さで、1周=9分15秒でした
ちなみに私は10分8秒でした
普段はスピードトレーニングしていないので記録が出ません
ちょっとわかりづらいですが、サンセットがキレイでした
今回のメンバー
1人見学の方がいましたが、次回は走ってもらいますよ!
黄昏時の雰囲気がいいですねえ
ぜひ、次回はもっと多くの方にご参加いただきたいと思います。
お寺関係の方じゃなくても結構です。
お待ちしてます。
ちなみに次回の予定は2月20日(日)の17時、陸上競技場前の堤防集合です。

2011年2月2日水曜日

代表好き日本人

先日、サッカーのアジア杯があり、見事日本の優勝で幕を閉じました。
初戦のヨルダン戦がギリギリのドローで始まったことを考えると、よく優勝できたなあと思います。
今回は色々とドラマがありました。
けが人が出たり、不可解な退場が出たり、PK戦になったりといろいろありましたが、控えの選手が活躍するなどの総力戦とチーム一丸で戦ったことが評価されています。
ザッケローニ監督の采配もかなり評価されています。
選手起用がズバズバ当たってましたし、選出された殆どの選手を使うところなどは個人的には評価したいところです。
そんなこんなで、大会が始まってから終盤にいくほどどんどん盛り上がった印象があります。

さて、私といたしましては正直に申し上げるとさほど熱くなったわけではありません。
私はスポーツ観戦がかなり好きな方です。
ただし、ライブで見たいという願望は殆ど無く、テレビ観戦で十分だと感じています。
(こんなのはスポーツ好きじゃないと考える方も多いと思います。)
かなりアマノジャクなんですが、なんとなく盛り上がって応援している中に同調したくないという思いが強いからです。
Twitterでも一度ツイートしたんですが、私的にはサッカー日本代表に対してはいわゆる「ドーハの悲劇」があったオフト監督時代以降は思い入れが失せました。
93年はJリーグ開幕とW杯予選ととてもサッカーが盛り上がった年でした。
それまでは当時JSLというリーグがありましたが閑古鳥が鳴いていた状況で、サッカー界は全然盛り上がってませんでした。
それを何とかしたいという協会の思いが、サッカー人気の成功につながったんだと思います。
なぜオフト監督以降は好きになれないかというと、選手の殆どが人気が高まった後の選手ばかりだからです。
オフト監督の時代は閑古鳥の中で頑張ってきた選手ばかりでしたが、今の選手以上にオーラがあり、黄金期ともいわれています。
代表メンバーもほぼ固定していたので今でも選手の名前が言えます。
そういった選手がいなくなったころから魅力が無くなったと思います。
特にW杯出場を決めた98年に、岡田監督が大会直前に三浦カズと北澤を外したことで私の持っていたサッカーの魅力を全部削ぎ落とされました。
(私は性格上、一度興ざめすると興味が復活しないんです)
結果がモノを言う世界なので、フランスW杯でせめて一勝でもできていれば岡田采配をそれなりに評価できたかもしれませんが、全敗で終わったのでなおさらガッカリしました。
そういうこともあって、なぜかサッカー日本代表を見ても興味がわきません。
ほとんどの方がドキドキハラハラで観戦していたんでしょうが、私に限っては全く緊張感なく観ていられます。
正直勝っても負けてもどちらでもいいと思っています。
ということもあくまでも私の個人的な思いなのでどうでもいい話なんですが、これからが本題です。

日本人は代表戦というものになると急に盛り上がる体質があると思います。
今回のサッカーでもそうですが、野球のWBC、バレーボールの国際大会など大変盛り上がります。
オリンピックが盛り上がるのも同じことだと思います。
国際試合だとマイナーなスポーツもにわかに盛り上がります。
北京五輪出場をかけたハンドボールが一時的に人気を得たことがいい例です。
ファッションや音楽などが流行り廃れるのと違い、スポーツが一時的に盛り上がるのは如何なものかと思います。
やっている選手は本当に真剣だと思います。
そのスポーツには代表じゃないけど頑張っている選手が多くいるということが見えているんでしょうか?
一時的に盛り上がっている証拠にリーグ戦などの通常の国内試合が意外に盛り上がっていないという現状があるようです。
プロ野球なんか巨人戦でさえ地上波中継のないことがあります。
昨年の日本シリーズ千葉ロッテvs中日は全国放送のない日がありました。
かつての野球人気からすると、考えられません。
やっぱり国際戦に熱狂的になった人は責任持って普段からそのスポーツを応援して欲しいですね。
「そんなこと考えてスポーツなんて観てられません」と思われそうな、極端な考えで申し訳ありませんが、スポーツが好きだからこそこう思うわけです。
こういう代表好きという背景には、日本人が活躍することを見たいということがあるんだろうと思います。
競技はなんでもいいんです。
高校野球なんかで地元出場校を応援するのと一緒ですね。
ある意味当たり前の考えだと思います。
しかしその反面、国際試合は遺恨を残したり、国際問題を浮き彫りにしたりという弊害も抱えています。
これも極端な考え方ですが、これは同族意識のあらわれで、排他性という問題も含んでいます。
「愛国心」や「国益」という表現にも問題があるんです。
「自分さえよければいい」という思い上がりの無自覚さを助長しかねません。
かつての軍国主義の象徴である「日の丸」や「君が代」がスポーツを通じて現代日本人の精神に浸透していくとの違和感も否めません。

最後はやや重い話になりましたが、スポーツ好きの私からの提言はこの盛り上がりをその競技を支える原動力にして欲しいということです。
マスコミの影響も含め、持ち上げたり落としたりが好きな日本人です。
関心事が一時的で持続しないんです。
事件や事故が風化されることも恐ろしいいことです。
ところで、今心配なことは日本ハムの斎藤佑樹人気ですが、あまり結果を期待しすぎずに暖かく応援すべきではないでしょうか。