東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2010年12月5日日曜日

別大国道ランニングレポート

久々のランニングレポートですが、今日は国道10号線の別府大分間、通称「別大国道」を紹介します。
毎年、2月の第1日曜日に開催される「別府大分毎日マラソン」のコースでも有名なところです。
といっても、当然一般のランナーは歩行者&自転車専用の路側帯しか通れませんが、すごく快適に走ることができます。
来年の「別府大分毎日マラソン」は第60回の記念大会です。
この大会はマラソンの登竜門といわれ、全コースの高低差が7mと平坦であり好記録が出やすいといわれています。
過去出場したランナーもそうそうたる選手がなを連ねます。
優勝した選手に君原健二(八幡製鐵・新日鉄)、宗茂(旭化成)、喜多秀喜(神戸製鋼)、谷口浩美(旭化成)、児玉泰介(旭化成)、森下広一(旭化成)、藤田敦史(富士通)など、後に日本を代表する選手がいました。
また、地元大分出身として西村義弘(新日鉄大分)や清水昭(杵築東芝)も優勝しています。
印象にのこるのは、第30回大会で宗茂(旭化成)と宗猛(旭化成)の双子兄弟が同時にゴールして1、2フィニッシュとなったことです。
それからバルセロナ五輪の前年の第40回大会では、当時新星だった森下広一(旭化成)と国内で無敵だった中山竹通(ダイエー)がデットヒートを繰り広げました。
39キロ過ぎに中山が森下の肩を叩いて「行ってもいいぞ」といって、森下がスパートをかけて初マラソンで当時の日本最高記録で優勝しました。
翌第41回大会で2位となった韓国の黄永祚はバルセロナ五輪で森下と熾烈なレースを繰り広げ黄が金、森下が銀を獲得しました。
こんな歴史があり、名選手を輩出した大会のコースでしかも風光明媚なロケーションを走るのは本当に気持ちがいいです。
大分から別府方面に向かって進むと、西大分を過ぎてから道路の右側が海に面します。
その後7km右手に海を眺めながらランニングすることができます。
以下そのコースを写真にて紹介します。
別府湾の北側が日出町・杵築市
別府湾の西側に別府市
別府湾の南側が大分市
今回のレポートは赤線の部分
大分市生石から国道10号線の右手に海が見え始めます
下白木の歩道橋
自転車用にスロープが付いています
1993年より6車線化工事が始まりほとんどが、上下各3車線づつとなっています
歩道、自転車道は幅が約7mあり歩道と自転車道を分けるマークがあります
ところどころ樹木が植えられています
12月とは思えないくらいの南国ショットです
仏崎
昭和36年10月26日集中豪雨の崖崩れで、別大電車埋没事故があり、31人が死亡したとのことです
歩道には何箇所かこういったプレートが埋められています
エシェル・ドゥ・アンジェ
レストランウェディングです
友だちの結婚披露宴で2回ほど行ったことがあります
田ノ浦ビーチ
2000年にできた人工ビーチ
人工島があります
休みの日は家族連れやカップルが多くいます
私が子どもの頃は狭い海水浴場でしたが、よく泳ぎに来ていました
見違えるようなビーチになってます
施設の概要です
禁止事項は守りましょう
ダイビングの方がいました
ジェットスキーの方もいました
大分マリーンパレス水族館「うみたまご」
セイウチ、トド、イルカのショーが有名です
高崎山自然動物園
野生のニホンザルが生息し、餌付けをした動物園です
現在1200頭以上のサルがいます
国道10号線と並行してJR日豊本線が通っています
ソニックが通りました
別府市
別府市から杵築市
日出町から杵築市
東別府付近
この先から道路が海に面していません
東別府から1.5kmくらいのところに別府タワーがあります
復路(別府より〜)で高崎山をのぞみます
両郡橋
ココが大分市と別府市の境です
一部6車線化の工事が終了していないのでこの狭い歩道を通らなければなりません
6車線化の工事は来年2011年に終了する予定です
復路、大分市をのぞみます
大分市北部は大分臨海工業地帯で、新日鉄、昭和電工、九州石油、九州電力などが連なってあります
途中オブジェ的な建造物がいくつかあります
別府湾
左手に杵築市、右手に大分市が見えます
天気のいい日は四国の佐田岬が見えます
大分市生石に戻ってきました
天候のいい日は本当に気持ちの良いコースです
風の強い日はちょっときついかもしれませんが、一度走ってみてはいかがでしょうか?
ウオーキングやサイクリングもおすすめです。

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