東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2011年2月1日火曜日

2011年御正忌報恩講「御浚え」

報恩講の結願の翌日1月29日、「御浚え」のお勤めがありました。
本願寺8代目の蓮如上人が吉崎御坊におられた時、文明5年の報恩講を終えた後に多屋内方(お寺周辺の宿泊所・詰所の主管者や坊主の妻や家族)に当てた御文があります。
これが、俗に「御浚えの御文」と称されており、報恩講の翌日のお勤めに拝読されます。
2002年の3月に日豊教区では「日豊教区・四日市別院 蓮如上人五百回御遠忌法要」が厳修されましたが、その直後に開催された教区安吾(学習会)で池田勇諦先生にご出講いただきました。
その時に池田先生がこの御文をテーマに「信心の溝を浚える」ということをご講義くださいました。
真宗教団は報恩講を大事にしてきたので、報恩講の御満座を無事勤めたという満足感がクローズアップされ「御満座教団」になっているようだが、むしろこの「御浚え」を大事にする「御浚え教団」にならなくてはならないということでした。

御浚えの御文(2帖目1通)
そもそも、今度一七か日報恩講のあいだにおいて、多屋内方もそのほかの人も、太略信心を決定し給えるよしきこえたり。
めでたく本望これにすぐべからず。
さりながら、そのままうちすて候えば、信心もうせ候うべし。
細々に信心のみぞをさらえて、弥陀の法水をながせといえる事ありげに候う。
それについて、女人の身は、十方三世の諸仏にもすてられたる身にて候うを、阿弥陀如来なればこそ、かたじけなくもたすけましまし候え。
そのゆえは、女人の身は、いかに真実心になりたりというとも、うたがいの心はふかくして、また物なんどのいまわしくおもう心は、さらにうせがたくおぼえ候う。
ことに在家の身は、世路につけ、また子孫なんどの事によそえても、ただ今生にのみふけりて、これほどに、はやめにみえてあだなる人間界の老少不定のさかいとしりながら、ただいま三塗八難にしずまん事をば、つゆちりほども心にかけずして、いたずらにあかしくらすは、これつねの人のならいなり。
あさましというもおろかなり。
これによりて、一心一向に弥陀一仏の悲願に帰して、ふかくたのみたてまつりて、もろもろの雑行を修する心をすて、また諸神諸仏に追従もうす心をもみなうちすてて、さて弥陀如来と申すは、かかる我らごときのあさましき女人のためにおこし給える本願なれば、まことに仏智の不思議と信じて、我が身はわろきいたずらものなりとおもいつめて、ふかく如来に帰入する心をもつべし。
さてこの信ずる心も念ずる心も、弥陀如来の御方便よりおこさしむるものなりとおもうべし。
かようにこころうるを、すなわち他力の信心をえたる人とはいうなり。
またこのくらいを、あるいは正定聚に住すとも、滅度にいたるとも、等正覚にいたるとも、弥勒にひとしとも申すなり。
またこれを、一念発起の往生さだまりたる人とも申すなり。
かくのごとく心えてのうえの称名念仏は、弥陀如来の我らが往生をやすくさだめ給える、その御うれしさの御恩を、報じたてまつる念仏なりと、こころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

これについて、まず当流のおきてをよくよくまもらせ給うべし。

そのいわれは、あいかまえていまのごとく信心のとおりを心え給わば、身中にふかくおさめおきて、他宗他人に対してそのふるまいをみせずして、また信心のようをもかたるべからず。
一切の諸神なんどをもわが信ぜぬまでなり、おろかにすべからず。
かくのごとく、信心のかたもそのふるまいもよき人をば、聖人も、よく心えたる信心の行者なりとおおせられたり。
ただふかくこころをば仏法にとどむべきなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明第五、十二月八日、これをかきて当山の多屋内方へまいらせ候う。このほかなおなお不審の事候わば、かさねてとわせたまうべく候う。

のちの代の しるしのために かきおきし のりのことの葉 かたみともなれ



【下線部の現代語訳】
さて、この度の七日間の報恩講の間において、家々の女性たちも、またその外の人たちも、おそらく阿弥陀様のお心(信心)をいただけたことかと思います。
たいへん喜ばしいことで、本望これにすぎることはありません。
けれども、そのままに打ち捨てておくならば、せっかくの阿弥陀様の智慧も、自分の過信の中に消え失せてしまうでしょう。
幾度も幾度も阿弥陀様のお心を確かめ、その溝に阿弥陀様の智慧の水を流せという言葉もあったでしょう。

報恩講をお勤めして阿弥陀様の信心をいただいて喜びがちだが、またその信心の溝にチリやホコリが溜まってくるので、聞法してそのチリやホコリを流さなければならないということです。
その確かめをするのが「御浚え」のお勤めです。
いうならばもう一度リセットして、身も心も引き締めるための大切なお勤めということです。
歩みを止めないのがお念仏の生活なんです。
来年の報恩講に向けての一年がまた始まりました。
29日朝の御浚えのお勤め
お荘厳は平常に戻ってます
「御浚えの御文」拝読 
お勤め後、仏教婦人会の方がご門徒にお配りするお華束餅を袋詰めくださいました
中にはこのようにお餅が入っています¥ 
袋詰めされたお華束餅

0 件のコメント:

コメントを投稿