東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2010年8月31日火曜日

御遠忌団体参拝の弊害

周知のことですが、いよいよ来年2011年「宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要」が厳修されます。
御遠忌とは50年に一度の大法要(法事)です。
全国から多くの参詣者が京都・東本願寺に集まることと思います。
一方、今回の御遠忌が盛り上がっていないとの声を耳にすることも多いです。
私はその原因の一つとして、御遠忌法要の参拝が団体参拝形式で行われるというところにあるのではないかと考えています。


数十人から数百人単位の団体で参拝することは特段問題とは思わないんですが、私が問題視するのは「指定団体参拝」形式というところなんです。
指定というのは、本山側がどこどこの地区は何日の何時の法要にまとまってお参りくださいという形式のことをいいます。
もちろん各地区からは、どの日の何時に何人でお参りしたいという希望はとりますが、それにしても問題だと思っています。
参拝の際の混雑・混乱・事故等を防ぐために今回指定席が設けられたことは賛成です。
私が思うのは、その指定席を各自が自由に予約する形をとるべきだったということです
普通のコンサートや舞台、スポーツの試合みたいに、一斉に予約受付を開始すればいいんです。
早い者勝ちでいいんです。
法要は全部で合計30日間54法座あり、1座あたり3100人となっていますが、一般席を含めると約4000席あると思います。
希望する日の希望する法座を各自で予約したらいいんです。
対応が大変だったら、〈チケットぴあ〉みたいな会社に委託すればいいと思います。
年配の人は個人でいく自信のない人が多いという考えもありますが、そういうリクエストが多いところは地域ごとに団体ツアーを組んだらいいんです。
場合によっては旅行会社などが指定席を確保して、ツアーを組んで販売したらいいと思います。
よく「◯◯観戦ツアー」とか「◯◯鑑賞の旅」というような企画があるじゃないですか。
アレです。

現状の話に戻ります。
各地域で、数十人から数百人の団体参拝を企画しています。
本山参拝のほかに、親鸞聖人のゆかりの地、あるいは近郊の観光地をパッケージする形のコースが多いと思います。
私のところ〈大分市組〉の場合、3月と5月に2回に分けて、それぞれ250名、計500名の参拝予定です。
行き帰りの船中2泊を含め、3泊4日の日程でオプションは親鸞聖人展、比叡山、奈良のコースを予定しています。
現状起きている問題がいくつかあります。
 ・参加したいけど年配なので、船旅は無理という方がいる。
 ・時間を割くことができないので、日帰りか一泊しかできない方がいる。
 ・せっかく行くんだったら関西在住の親戚などに会いたいという方がいる。
 ・企画されている日は既に予定があり、参加が無理な方がいる。
ほかにも細かい問題がありますが、基本的にはそういった方の希望には対応できないということになっています。
それでも行きたい方は個人的に行くことができますが、先ほど触れたように一般席にて参詣するしかないのです。
一般席は団体参拝席のかなり後方なので、どうかなあと思います。
つまり、参拝したいけどできない人がいるということです。
こういったことが全て解消できるのが私の一般予約式の参拝方法なのです。
そんなことは現実的に無理だという人もいますが、世間であるコンサートなどはほとんどがこの方式です。
東京ドームなどでは毎日のように4万人以上の来場があってるじゃないですか。
その10分の1ですよ。


さて、ここからが本題、御遠忌が盛り上がらない理由を述べます。
まず寺側の人が団体参拝の企画や旅行者との打ち合わせ、その他募集や引率に向けての対応にエネルギーを費やさなければならないということが問題です。
御遠忌の2〜3年前から団体参拝の準備に取りかかり、御遠忌に対しての焦点がそこに集中してしまっています。
今回の御遠忌の基本理念は「宗祖としての親鸞聖人に遇う」ということですが、それは置き去りにされて団体参拝の事務的作業に追われている現状です。
本山サイドにも悪影響があります。
受け入れる側としても、指定団体参拝は一番やりやすいんです。
まず、人数が読めるし、確保できます。
それによって、参拝していただこうという呼びかけ的働きが弱くなってます。
再度世間的な話に例えますが、普通の興行イベントだったら客を呼ぶために当然ですがかなりの企業努力をします。
いいものを作る、見せる、アピールする、これが当たり前です。
御遠忌が盛り上がらないのは、親鸞聖人の説かれた真宗の教えがいかに大切なのかを発信する体を失ってるんです。
私は、ふたを開けたら参拝者の数が少なかったという結果でもいいと思うんです。
でもそうならないように、働きかけることが大事です。
指定団体参拝形式は参詣者が見込めないときにしたらいいんです。
もしかしたら、50年後の800回御遠忌はそれが必要な時代になってるかもしれません。
しかし、今回の御遠忌は一般参詣形式でも各法座とも満堂になると私はそう思います。
真宗大谷派にはまだその力があると思うんです。
寺の人間も、本山側の姿勢もなんとか団体参拝を無事終了したい。
そしてそれをもって、御遠忌の成功と受け止めていくことになるんだと思います。
結局そういうこと全てが御遠忌をしらけさせてるんじゃないでしょうか。
門徒さんに対して情熱をもった御遠忌を伝えることができないんだと思います
今更ですが、あらためて今回の指定団体参拝形式の御遠忌となったことが悔やまれます。

2010年8月29日日曜日

親子清掃

夏休み最後の日曜日の今日、子どもの通う小中学校で「親子清掃」がありました。
昨年から同じ敷地内にある幼稚園、小学校、中学校、特別支援学校の四校園で一斉に行うことになりました。
昨年は、残念ながら新型インフルエンザの発生で一部の保護者のみの開催となったため、実質今年度が第一回目の一斉清掃となりました。
まず早朝、6時半〜9時が父親の一斉清掃、8時〜9時が親子一斉清掃となっていました。
結局、総勢約2000名の参加でした。
私は小学校のPTA役員のため、朝5時半から10時頃まで作業しました。
暑さと重労働でかなりの疲労もありましたが、見違えるほどキレイになりましたので、それも吹っ飛びました。
子どもたちも気持ちよく新学期を迎えることができると思います。
皆さん、お疲れ様でした。

父親清掃の開会式
父親清掃は構内の側溝を掃除しました

草刈りのお父さん
受付の役員さん
小学校の親子清掃開会式
小学校の親子清掃
小学校の親子清掃
中学校の親子清掃
特別支援学校の親子清掃
幼稚園の親子清掃
幼稚園付近を清掃する中学生
きれいになった側溝
取った草を集めました
2000人で閉会式、けが・事故もなく無事終了

2010年8月28日土曜日

活字離れ問題

最近、活字離れが問題視されることが多々あります。
新聞を読んだり、本を読んだりすることが減少したことを原因とするのでしょうか?
それによって、言語能力の低下、勉学意欲の減退など、知的水準が落ちるなどといったことが起こっているとも言われます。
ワープロの使用が当たり前になった時代以降、PCや携帯電話が普及し、更にはメールやネットの利用増加との関係で思うことを書きます。
私自身は、PCやネット関係の依存率がかなり高い方だと思います。
しかし、おそらく活字に触れる割合はそれに伴って多くなった印象があります。
テレビもよく視る方ですが、最近の番組はテロップがすごく多いです。
いつ頃からでしょうか、しゃべってるのに、更にそれがテロップとして流れています。
最初それが非常に目障りで嫌だったんですが、今では当たり前になってあった方がいいように思えてきました。
メールをしたり、Twitterをしたり、このようにブログを書いたりして、文章をつくる機会も多くなりました。
とにかく、活字や文字、文章に埋もれた生活をしているように思えます。
検索をかけたりする際に言葉を選ぶ行為は、かなり頭を使うような気がします。
ただし、手書き文化とは明らかに違う点も否めません。
まず、書き換えがきくので文章が洗練されていきます。
できるだけ完璧な文章を作ろうとするんですね。
(こんな文章しか書けないくせにエラそうなこと言うなって思われますよね。)
読み返して書き換えているうちに、どんどん表現が変わってきます。
手書きで書いた文章の方が、未熟な文体なんでしょうが、書きたい内容に近いものが残せるように思います。
それから、漢字は多く覚えます。
何故なら、変換してくれるからです。
辞書で調べなければわからない漢字も使いたくなります。
ただし、やっぱり書かないから、《読めるけど書けない現象》は起こってしまいます。
そういう意味ではiPhoneやiPadの手書き機能は優れものかもしれません。
いずれにしても、私に限らず多くの人々が、活字に触れ、作文の機会が多くなったと思います。
そういうことからして、言語能力の低下はどこに原因があるのかということです。
私は、会話量の減少が問題の一つだと考えます。
本願寺8代目蓮如上人は、しきりに「寄り合い談合せよ」とおっしゃられました。
つまり、みんなで話をしましょうということです。
現代社会は、プライベートな時間が多すぎるんですね。
人と接する機会が少ないから、会話する時間が少なくなる訳です。
会話というところに言語能力の向上の秘訣があると思うんですが......。

2010年8月27日金曜日

大学同窓会

8月26日、我が母校大谷大学の大分支部同窓会がありました。
大分支部とは大分県内の同窓生を対象として、毎年この時期に「大谷大学・同窓会 全国縦断夏季八十講」として開催されます。
今年度は、真宗学の一楽真教授にお越しいただきました。
15時より、大分市のコンパルホールにて、先生の講演がありました。
講題は「大谷大学の学問ー人との出会いー」でした。
親鸞と法然の出会い、大無量寿経の釈尊と阿難の出会い、観無量寿経の釈尊と韋提希の出会いなどを通して大変意義深いお話を頂戴いたしました。
一楽 真 教授
その後、18時より別府市の「花菱ホテル」に場所を移し、懇親会がひらかれました。
上は80代の先輩から、下は卒業して2年目の後輩まで約30名の同窓生が参加し、有意義な時間を過ごしました。
懇親会の様子

2010年8月26日木曜日

プロスポーツ考①

日本のプロスポーツといえば、伝統的には野球と相撲だと思います。
かつては、プロレスやボクシングなどの格闘技関係もかなりの人気がありました。
ゴルフやテニスは好きな人にはずっと根強く人気があります。
近年はJリーグができてから、サッカーの人気が強くなってきました。
最近では様々なスポーツでプロ化が進んで、バスケット、バレー、フットサルなど多くのプロスポーツがあります。
メディアの露出度からいうと、野球、相撲に加えサッカーというのが今の日本の3大スポーツとなるんでしょうか。
プロスポーツというのは組織や運営方法というのが競技内容を越えて、人気を左右するものだと思います。
最近のことでいうと、野球ではテレビ視聴率低下などの課題を抱えています。
相撲界ではがいろいろな問題が次々に出てきて、世間を騒がせています。
サッカーではワールドカップ以後の盛り上がりの欠如や、代表監督決定難航などの問題がります。
それぞれ、各組織の問題が影響していると考えられます。
もちろん、各スポーツが持つ成功の利点も多くあります。
今日はこのくらいにしておきますが、また、この続きを投稿したいと思います。

2010年8月25日水曜日

挨拶、掃除、履物揃え

真宗では、ある意味道徳的なことに執着しない傾向があります。
そのために、かつて「門徒ものしらず」と称されていました。
これは、道徳や人情をこえて真実に目覚める真宗の教えからいうと当然でありますし、そこが真宗の真骨頂といってもいいと思います。
それ故、真宗の関係者、というかはっきり言いますと真宗の僧侶は冒頭に記したことが門徒の証であるという受け止めが強すぎるせいか、世間離れした人が多いように思います。
私にもそういう点があることを否定するつもりはありません。
しかし、人としてのある程度の礼儀、礼節はやはり大事だと思います。
例えば、時や場をわきまえた服装をするということは、当たり前なことなのにそれができない。
決して外見だけで人を判断する訳ではありませんが、そういう人って社会的信頼がなくなると思います。
社会を尊敬しないというのは、如何なものでしょうか?
私事ですが、三人の子どもがおりまして、その子育てについては悪戦苦闘というか試行錯誤の連続です。
我が子に対してはあまり高望みをする気はありませんが、この三つについて徹底できる人間になってほしいと思っています。
それは、
  ①挨拶のできる人
  ②掃除が上手な人
  ③脱いだ履物をきっちりと揃えることができる人
の以上三項目です。
この三つの事柄についてですが、最近これらのことができない大人があまりにも多いことに驚きを覚えています。
挨拶のできない人と履物が揃えられない人は、老若男女問わず多くいます。
掃除が下手な人は、概ね50歳以下の人に多くいると感じています。
特に草取りや落ち葉かきなどの外の掃除はかなり下手です。
こういったことができない人は、どうでしょう?
ちょっと大げさですが、私は信頼が持てません。
こういったことは子どもの時期からやってないとなかなかできません。
まずは、我が子に徹底させたいと思っています。

2010年8月22日日曜日

OPENしました

はじめまして。
大分市にある真宗大谷派寺院、西福寺副住職のKENKYOです。
2ヶ月ほど思案した結果、遅ればせながらBlogの開設をいたしました。
実は数年前までは、メール(携帯電話に限る)でさえも否定してましたが、ひょんなことからBlogの必要性を感じるようになりましたので開設に至りました。
HPよりも手軽なコンテンツとしてBlogが普及し、更に手軽なものとしてTwitterが活用されるようになったと思われます。
私も数ヶ月前よりTwitterを始め、その活用価値を実感しておりました。
Twitterのウリは140という絶妙な文字数だと思います。
140文字だから気軽に投稿でき、気軽に閲覧できる。閲覧が苦にならない。
しかし、場合によっては140文字に収まらないんだが、是非つぶやきたいというか投稿したものもあります。
そこでBlogの必要性を感じてきた訳であります。
もしかしたらTwitterの実の価値は、BlogやHPへの誘い水としてのコンテンツというところにあるのではないかと思ったりもします。
まあ元々ITの分野が好きだったんですが、10年以上前にHPを作成しようとして断念したこともあります。
そういう意味では本当に今更って感じですが、是非おつきあい願います。
ということで、一応寺の副住職ということでのBlogですが、仏教や真宗のことというよりも日常の所感を綴って参りたいと思います。
よろしくお願いいたします。