世間ではよく「お東」「お西」という分け方をしますが、東本願寺を本山とするのが「真宗大谷派」で西本願寺を本山とするのが「浄土真宗本願寺派」であります。
さらに、大谷派を「大派(だいは)」本願寺を「本派(ほんぱ)」という言い方もあります。
実は浄土真宗というのは伝統的には10派があります。
大谷派、本願寺派、高田派、仏光寺派、興正寺派、木辺派、出雲路派、誠照寺派、三門徒派、山元派があり、真宗教団連合というグループで連携をしています。
真宗十派の全寺院数に対して大谷派と本願寺派を合わせると9割以上を占めています。
また、十派からはさらに分離しており、例えば大谷派からは東本願寺派という宗派が分離しています。
大谷派も本願寺派も同様ですが、全国をいくつかの地域ブロックで分けた行政単位を「教区」といいます。
さらに教区をいくつかの地域ブロックに分けた行政単位を「組(そ)」といいます。
当寺院(西福寺)は「日豊教区(福岡県東部と大分県全域)」の「大分市組(一部を除いた大分市)」に所属しています。
本願寺派は大分県全域を「大分教区」といい、大分市と由布市の一部で「大海組」というのがあります。
その大海組が3月2日〜6日にかけて「親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け法要」を開催しました。
(※大谷派では「御遠忌(ごえんき)」といいますが、本願寺派では「大遠忌(だいおんき)」といいます)
内容は次のとおりです。
【3月2日〜6日】iichiko総合文化センター アトリウムプラザ
◯ようこそ『あんのん広場』へ
「親鸞聖人と西本願寺」写真パネル展示と仏縁イベント(DVD上映、法話会、仏事相談、腕輪念珠作り、におい袋作りなど)
【3月5日】iichikoグランシアタ、ガレリア竹町
◯稚児行列
◯子どもと親の法要
◯お待ち受け法要
いずれも龍谷大学吹奏楽部の演奏をともなっての法要
【3月6日】iichikoグランシアタ
◯「吉本新喜劇とアジャセの物語」(昼夜2回公演)
『仏説観無量寿経』というお経に出てくる王舎城の悲劇の人間模様を吉本新喜劇が涙と笑いの現代劇にアレンジ
お待ち受け法要のパンフレット 広告欄も含め約70ページ全ページフルカラーの立派なものです |
パンフレットの裏表紙 |
法要プログラム |
パンフレット内には組内17の寺院が紹介されています |
iichiko総合文化センターでの「あんのん広場」 |
各寺院の紹介があります |
各寺院の紹介 |
写真パネル展示 |
写真パネル展示 |
写真パネル展示 |
児童絵画作品展 |
吉本新喜劇の案内 テレビでお馴染みの出演者が勢ぞろい お経に出てくるお話が現代劇で再現されていました |
ビハーラとダーナ活動のパンフレット |
吉本新喜劇のタオルが入場者に配布されました |
大谷派では今月から、本願寺派は来月からそれぞれ御遠忌、大遠忌が勤まります。
今回の大海組の法要は大遠忌直前の大切な法要であったと思います。
その意味にふさわしく大変賑わいのある法要になったようです。
我々の大分市組では以前から本願寺派の大海組や速見組(別府地域周辺)と様々なかたちで交流を深めてきました。
学習会や研修会、イベント(聲明、演劇等)の共同開催の他にも東西野球大会やそれぞれの事業においての参加協力などをしてきました。
今回も「吉本新喜劇〜」のチケット販売に協力させていただきました。
5日の法要にもお参りさせていただきたかったのですが、都合がつかず6日の「吉本新喜劇」のみ伺いましたが、「組(そ)」の単位でこんな大規模な法要ができるのかとその意気込みに圧倒されました。
私たち大分市組も昨年の11月に「お待ち受け大会」を開催しました。
(内容は拙ブログ11月22日「大分市組御遠忌お待ち受け大会」にて掲載)
日豊教区でも08年3月に「お待ち受け法要」を10年5月に「お待ち受け大会」を開催しましたが、いずれも今回の大海組の法要に比べると小規模なものでした。
気持ちが入ってないのか、企画力がないのか、実行力がないのか、もしくは素地が違うのかは不明ですが正直その差に愕然としました。
本願寺が東西に分派して400年以上が経ちます。
その間、両派には様々な相違点ができました。
お内仏(仏壇)も少し違いますし、装束や聲明も微妙に違います。
その体質や性格も特有のもがあります。
最近では本願寺派(お西)の方がメディア戦略が上手だという印象があります。
随分前から大手広告代理店と提携していると聞いています。
大谷派(お東)も数年前から専門業者に関わってもらっているようですが、そのような分野においては全てにおいて後手後手なのは間違いありません。
「お西の方が〇〇で、お東の方は〇〇だ」という見方で批判的要素につながることもあります。
したがって本願寺派の取り組みに対して批判的に見る人も多いですが、内容については差しおきますがメディア戦略を重視しているということはご門徒さんや外に目が向いている証拠であります。
しかし、批判的要素ではなくお互いにそれぞれの良さを引き出しながら連携していくことが大切だと思います。
今回は会場も一般の方の往来も多い場所でしたので、非常に多くの方々にその取り組を目にすることができたと思います。
こういう地道な種まきは、芽を開くことにできる絶対数が増えるということで意義深いものです。
宗祖親鸞聖人750回御遠忌は浄土真宗の教えの大切さを世に示す勝縁、チャンスであります。
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