東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2011年4月17日日曜日

学習塾の判断基準

毎年毎年、教育というものに関することの重視度は高まっているのではないでしょうか?
学力がつく→良い学校に入る→良い就職に就く→高い収入を得る→幸せになる、という論理はもはや人間のスタンダードな考え方だといえます。
日本においてこういった考え方が定着した背景には、明治時代に入って学制というものが整えられたということもあると思います。
「国家百年の計は教育にあり」といわれるように学校制度が整ったことによって、国民全体の平均的教育も高まり、成熟した国家形成につながってきたのでしょう。
ここ数十年の間をみても、教育の整備によって途上国から先進国へと変化を遂げた国が多くあります。
しかし、教育というものが人間形成と国家形成に大きく影響するという考え方によって、人間の価値観が学力と経済力によって決められるという負の部分があることも否めません。
もちろん高度な社会になればなるほど教育力や経済力を確保する意味で、こういった社会システムは必要なことであります。
人間の価値観についての偏見はそのシステムが全面的に悪いのではなく、人間のもつ内的(心の)問題の方が大きいと思います。
南アジアのブータン王国が国民総幸福量(GNH)という概念を提唱したことは、人間や国家のあり方を見つめ直す意味で、非常に大きな意味を持つのではないでしょうか。
(このことはあらためて別投稿で触れたいと思います)

前置きが長くなりましたが、今日の本題は今から述べることです。
私もできることならば、先ほどの「学力がつく→良い学校に入る→良い就職に就く→高い収入を得る」という流れに乗りたいというのが正直な本音であることは否定できません。
おそらく我が子に対しても無意識にそういった期待をかけているんだと思います。
ちなみに、今は3人の子どもたちもそれぞれ中2、小6、小3とそこそこ成長してきたので、期待と現実に開きがあることが把握できていますので、ブータン王国で通用するような人間として成長して欲しいという期待へとシフトチェンジしています。
さて、近年では学力をつけるために学習塾に行くということが当たり前になっています。
調査基準や調査対象(公立、私立、etc)によって違いがあるようですが、小学生でも5〜6割、中学生だと約7割が塾を利用しているといわれています。
また少子化ということも手伝ってか、子どもの教育費が家計の占める割合を高くしています。
実際、親が高収入の家庭の子どもが高学歴になるというデータも出ているようで、教育格差も問題視されています。
塾も乱立しています。
あの手この手で生徒募集をしています。
そこで気になるのが学習塾の宣伝文句というかアピールのために、昨年度の合格実績が出ていることです。
今はちょうど年度始めなので、新聞広告や塾の看板広告に2010年度の実績が出ています。
「◯◯高校◯人(前年比◯%)」というように実績が示されています。
それを見て「その実績がすごいからそこに行こう」と思う人も出てくるのでしょう。
しかし、私はこの宣伝文句が理解できません。
まずその塾の塾生の全体数がわからないということです。
ちょっと極端な話ですが、例えば有名進学校に50名合格という実績があっても塾生が1000人いるんでしたらその塾は「良い塾だ」といっていいのかどうかわかりません。
また、聞くところによると良い塾は優秀な子どもしか通ってないらしく、その塾に入るために試験があって塾に入ること自体が難しいというところもあるみたいです。
塾も商売なので、塾業界の勝ち組になりたいのでしょう。
普通企業で考えると、勝ち組になるということは業界でのシェア率を高くします。
業種によっては国内シェア率90%とかいう企業もあります。
しかし、塾の場合あまりにも流行り過ぎてシェア率が高くなると合格率も高くなりますが、不合格率も高くなるということになってしまいます。
そういう意味では、塾というのは競争相手や商売敵がないと成り立たない業種だといえます。
つまり、蹴落とす相手がいないと成り立たない世界なんです。
(国家資格は定員がなく、知識や技術が定められた水準をこえると合格となります。つまり蹴落とす相手がいないのでちょっと質が違います。)
教育の成長は、優秀な子も生み出すが落ちこぼれもつくるという弊害が見え隠れします。
「物(モノ)」ならまだいいんです。
良い製品と悪い製品ができ、悪い製品はなくなっても仕方ないと思いますが、人間にそういうことをあてはめるわけにはいきません。
ちょっと話はそれましたが、社会のシステムをそこまで変えてやろうという意図は全くありません。
塾の宣伝文句の話に戻ります。
宣伝文句ですが、「◯◯中学で◯番位の生徒が◯番位になりました」というような宣伝文句を出した方が「良い塾だ」ってことになるような気がします。
どこの塾も一生懸命だし、企業努力もしています。
その中でどこが本当に良い塾なのかという判断は難しいです。
塾の規模の大きさと学校別合格者の数字上の実績が判断材料になりがちですが、もうちょっと分かりやすい判断基準が確立するといいのではないかと思います。

実はウチの子どもたちも塾通いをしてますが、ウチの場合は高いところを目指すというよりも勉強時間の確保と少しでも成績アップ(平均値を目指す程度)できればいいというくらいの気持ちです。
ちょっと皆さんとは関わるレベルの差はあると思いますが、ふと思ったので投稿しました。

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