東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2011年6月22日水曜日

定期貯金の権利消滅

大変、ショックな出来事にあってしまいました。
結論から言うと、金融、税金、保険等のシステムにめっきり疎い私の自業自得の話です。

平成1年3月29日付けで私が郵便局にお預けした定期預金がありました。
それからずっと放置していたんですが、昨年(2010年)の4月に「権利消滅のご案内」なる催告書が届きました。
内容としては以下の通りです。

最後のお取扱い又は期間満了日の翌日(預入の日の応当日)から20年間お取扱いがない場合に催告書を発送し、当該催告書の発送の日から2か月間貯金の払戻しがない場合に権利消滅することになります。

つまり、この催告書が届いてから2ヶ月以内に払い戻しの手続きを行ってくださいということです。

この催告書が届いた時はざっと目を通しただけで、「手続きしないといけないなあ」と思っていました。
しかし、この催告書がはがきサイズで角をペロッとめくり、3枚に広がるタイプのものだったのでそこらへんの適当なところ(カベ)に貼付けていました。
私日頃から、この手のタイプのはがきは捨てはしませんが、そこらへんに放置するクセがあります。
その後も「手続しないといけないなあ」と思うことはありましたが、面倒なのでなかなか行き出せずにいました。
正直言うと、ほっておいたら何らかの形で切り替わっていくと思っていました。
それからそのことを完全に忘れていたのですが、数日前にある金融機関から満期ですのでどうのこうのという案内がきたので、思い出して催告書を慌ててみました。
すると、「権利消滅後の郵便貯金について、後日全部払い戻しのご請求をされましても、お支払いには応じられません」という一文が目に入りました。
恐らくこの催告書が届いた時も目にしてるんでしょうけど、「まさかそんなハズはない」とタカをくくってたんだと思います。

急いで、催告書に書かれていた「福岡貯金事務センター」に電話しました。
すると、「とにかくなるべく早く近くの郵便局で確認ください」と言われました。
早速、私の知り合いの方が局長をする郵便局へ直行しました。
そこで、「とりあえず請求の書類を作りましょう」ということなので、請求申請の書類を作りました。
局長さんに、「どうなるんでしょうか?」と尋ねると「記録が消去されてなければ払い戻しができるけど、照合しないとわからない」ということでした。
1週間〜10日くらいで判明すると言われました。
それが昨日の話でしたが、本日先ほど局長さんから連絡があり、「記録がなくなってたので残念ながら払い戻しができない」ということでした。
(このことについては郵政民営化の影響があるとも聞いたんですが、関係あるんでしょうか?)

「こんなことがあるのか?」と唖然としました。
もしかしたら、これは世間でも当然かつ周知のことで「それは、仕方ない」、「知らないほうが悪い」ということで片付けられる事柄なのかもしれません。
本当に世間知らずで、お恥ずかしいことです。
でも、私のように知らなくて権利消滅した人って多いと思います。
局長さんも「たくさんいると思います」と言われてました。
ちょっと驚きなのは、催告書なるハガキ一枚で知らせていることです。
これは、普通郵便なのでもしかすると本人に届かないことってあるんじゃないでしょうか?
私のように受け取ってもこういった郵便物は重要視しない人もいます。(それについては、言い訳できませんが)
お年寄りの方など、気づかれない方が多いんじゃないでしょうか?
不足ばっかり言って申し訳ないんですが、本人の所在がわからないわけでもないケースなので、直接連絡くださればとも思ってしまいます。
宝くじの当選を受け取りに来ない人とは、全く質が違います。

世の中には理不尽なことが多くあります。
自分のモノが自分のものでなくなるんですよ。
理解できません。
手元にあるよりも安全と思って預けたら、戻ってこなかったということです。
預ける方がよっぽど危険だということを痛感しました。
ましてや、今の時代のように超低金利時代なら、本当に手元に持っていた方がいいかもしれません。

権利消滅した貯金はどうなるのかといえば、国の財産になるらしいです。
(銀行の場合は銀行のものになるらしいです)
今まで消滅した貯金の総額はどのくらいになるんでしょうか?
まあ、「国のものになってるんだったら、回りまわって東日本大震災の復興に当てられるん
だったらヨシとしよう」と自分を慰めるように言い聞かせてます。

と、まあ縷縷と不足を申し上げましたが、冒頭に述べたように行き着くところは私に責任があるということです。
責任転嫁はよくないですね。
案内やお知らせの類、特に約款などは面倒ですが熟読すべきだということが教訓となりました。

最後に一言。
今回私が権利消滅した貯金の額は元利合計で273,432円でした。(内元金240,000円)
まあ、20年以上手をつけてなかったんで、あって無いようなものかもしれません。
お金は使ってナンボです。
権利消滅のご案内(催告書)
なお、この投稿をご覧になられた方で、(99%無理だとは思いますが)取り戻す方法をご存じの方はご連絡ください。

2011年6月19日日曜日

父親の会(だのはる倶楽部/おおとり会)

2週連続でPTAの男性保護者の懇親会が行われました。

近年では、男性保護者(父親)の積極的な子育て参加やPTA参加が重要視されています。
確かに昔は「子育ては女性任せ」みたいな概念がありました。
最近では、入学式などにも多くのお父さんが来られてますし、日曜PTAではなくても参観などに来られるお父さんもいらっしゃいます。
「父親部会」や「オヤジの会」などがある学校も多くなりました。
県教委や市教委でもその促進もはかっているようで、大分市には2007(平成19)年に「大分市おやじネットワーク」という会が発足しています。
男性ならではの発想、男性にしかできない活動も重要だと思います。
お父さんたちの活動を子どもたちに見せることだけでも非常に意義深いことである上に、そういった活動を通し、親同士の繋がりや連携を生み出し子育てなどの情報交換をするという意味でも重要性を感じます。

会については、どのようにして案内や呼びかけを行うと効果があるか、参加する人が固定化するなど、いろいろな課題もあります。
お母さん経由だと活動の呼びかけがお父さんまで行き渡らないことが多くあります。
(お母さんが意図でお父さんの参加をストップをしているケースもあります)
また、参加者が固定化すると「なかよしグループ」的になり、後から参加しようと思う方が入りにくいなどの弊害もあると思います。
そのあたりも改善しながら、充実した活動にしたいものです。

【だのはる倶楽部・懇親会】
長女(6年)と二男(3年)の通う大分大学教育福祉科学部附属小学校の男性保護者の会です。
今年で発足8年目で、私も長男の時から8年間関わっていますが、年々盛り上がってます。
今年は来年の小学校130周年記念事業にグランド芝生化のお手伝いや清掃活動、夏休みのプール監視などを予定しています。


日時/6月11日(土)19:00〜
会場/無敵のおやじ(大分市中央町2−7−19)
(おやじの会を意識してこのお店にしたわけではありません)


この日は保護者50名、先生方18名が参加しました。
特に1年生の保護者の参加者が多く、1年3組にいたってはクラスで10名の参加がありました。
先生方にもご参加いただき、学校や子供のことなどについて有意義な意見交換が行われました。
だのはる倶楽部①
だのはる倶楽部②
西本校長(右)三宮副校長(中)杉本教頭(右)
浦田だのはる倶楽部会長(右)中野PTA会長(右)

【おおとり会・情報交換会】
長男(2年)の通う大分大学教育福祉科学部附属中学校の男性保護者の会です。
私としては今年が2回目の参加です。

日時/6月17日(金)19:00〜
会場/豊の国健康ランド・ホテル豊の国(大分市南春日12−5)

小学校とはちょっと雰囲気が違います。(年齢層が少し高めということもあるかもしれません)
この日の参加者は20名ほどでしたので、各自自己紹介するなどの時間があったので、一人一人と密に交流を深められました。
残念ながら先生方については別行事との関係で校長先生と副校長先生だけのご参加となりました。
特に中学校では数年前よりITの活用を積極的に取り入れてまして、この日も「facebook」の活用を通じて効果的な情報交換を呼びかけました。
たまたま、ほとんどの方が「facebook」のユーザーだったということもあり、お互いに「ネット上での友達」という関係も結んでいました。
私もこの日だけで数人の方と「facebook友達」になりました。
懇親会終了後も、2次会、3次会と交流を深め盛り上がりました。
おおとり会、乾杯
山崎校長先生(左)佐藤副校長先生(右)
片山おおとり会会長(左)
佐々木PTA会長(中)
IT担当の坂本PTA副会長(右)

2011年6月15日水曜日

My favorite music②The Style Council/Cafe Bleu

私の好きな音楽、ミュージシャンの紹介の第2回目です。
今回も前回紹介したDonald Fagenの「The Nightfly」と同じく80年代に活躍したThe Style Council
を紹介します。
The Style Councilは1983〜1990年まで活動したユニットで、日本では略して「スタカン」(以下スタカンと記します)と呼ばれていました。
(ユニット=バンドやグループとはちょっと質が違います)
ちょうど私が高校生、大学生の頃で、同世代の方はかなりハマったんじゃないかと思います。
このユニットは基本的にはリーダーのポール・ウェラー(Paul Weller)とミック・タルボット(Mick Talbot)の2人組ですが、D.C.リー(D.C.Lee)とスティーヴ・ホワイト(Steve White)の2人が加わって4人での活動していました。
ポール・ウェラーは元々イギリスの有名パンクバンドThe Jamのリーダーでした。
The Jamの解散後に音楽の方向性を変えて結成したのがスタカンです。
The Jam、スタカン、両方の音楽を聴けば、(共通性が全くないとは言い切れませんが)見事なまでに音楽性の違いを感じるはずです。
スタカンの音楽は、ロック、ソウル、ジャズ、ポップス、ヒップホップ、ラテンなどさまざまなジャンルが入り交じった多彩で新鮮で革新的なサウンドでした。
The Style Council(=評議会)の名が表すように、まさに色々なスタイルの音楽の評議会であります。
スタカンがリリースしたオリジナルアルバムは4作品です。
『Cafe Bleu』(1984)
『Our Favourite Shop』(1985)
『The Cost of Loving』(1987)
『Confesstions of A Pop Group』(1988)
どのアルバムをとってもスタカンの世界観を堪能できますが、しいていうならばファーストアルバムの『Cafe Blue』が私の最も好きなアルバムです。
「Cafe Bleu』
『Cafe Bleu』
1.Mick's Blessings
2.Whole Point of No Return
3. Me Ship Came In!
4. Blue Cafe
5. Paris Match
6. My Ever Changing Moods
7. Dropping Bombs on the White House
8. Gospel
9. Strength of Your Nature
10. You're the Best Thing
11. Here's One That Got Away
12. Headstart for Hap
13.Council Meetin'

佐野元春はこのアルバムにかなり影響を受けて、自身も『Cafe Bohemia』というアルバムを作りました。
アルバムジャケットもポール・ウェラーを真似て白いコートの中にチェックのジャケットを着ていました。
このアルバムで最も有名な曲が6曲目の「My Ever Changing Moods」です。


また、4曲目「Blue Cafe」と5曲目「Paris Match」は非常にムーディーな曲で何とも言えません。


2作目の『Our Favourite Shop』は最もヒットしたアルバムで全英アルバムチャート1位を記録しました。
なかでも「Shout to the Top」は有名です。
佐野元春の「Young Bloods」はそっくりの曲です。
ここでも佐野元春が影響を受けていることがわかります。
映画『Vision Quest』のサウンドトラックにも入ってましたし、以前フジテレビの朝番組『特ダネ』のオープニングにも使われていました。


4作目の『Confesstions of A Pop Group』があまりパッとしなかったので活動を終えましたが、残念でした。
とにかくスタイリッシュでお洒落なスタカンです。

2011年6月12日日曜日

大分市組 坊守学習会

「坊守(ぼうもり)」とは寺院において番人となる役職を表す言葉がもともとの由来でありますが、開祖といわれる親鸞聖人以来、僧侶でも妻帯する歴史を持つ浄土真宗においては住職の妻のことを「坊守」と称してきました。
現在では浄土真宗以外の宗派の方もほとんど妻帯の形式を取っていますが、これは明治5年に出された「太政官布告」で「僧侶の肉食妻帯蓄髪は勝手たるべきこと」とされたことによって、妻帯してはならないという戒律を持っていた宗派も妻帯に踏み切ったからであります。
国家が「勝手にせよ」と言ってくれたから戒律を破ってもいいという解釈にしたというようなことです。
つまり浄土真宗は初めから戒律も待たないし、国家からも制約されない(認めてもらってないという意味もある)立場でありますので妻帯があたりまえなのです。
ですから浄土真宗では何代にもわたって寺院の世襲化が行われてきていますし、浄土真宗以外の宗派は明治以降に世襲化が始まったという訳です。
もちろん世襲についての賛否はありますが、歴史的な背景は以上のようなことで、私としては浄土真宗以外の宗派が妻帯して世襲化している現況に非常に違和感をもっています。

話は戻りますが浄土真宗で住職の妻を「坊守」としてきたということは、意味合いとしては今でもそのように解釈されるケースが多いですが、正確にいうと現在では間違った解釈であります。
現在では住職が女性ということが珍しくありません。(多くの宗派で認められています)
私どもの所属する真宗大谷派でも1996年に認められました。
「平等」ということを強く説いている仏教において「今更っ?」ていうことに思えますが、仏教教団が様々な点で男女の区別を保持してきたのも事実です。
しかし、近年はこの男女の問題だけでなくいろいろなことについて「お釈迦様の説かれた教えに反してないだろうか」という視点で改革がなされています。
その一つに女性住職が認められたということがあるのですが、それにともなって「坊守」の定義が改めて問われることになりました。
真宗大谷派では宗派内において様々な審議、議論を経て2008年に「男女の区別なく住職の配偶者を坊守とする」という条例改正を行いました。
つまり、女性住職の寺院は住職の夫が「坊守」となるのです。
(住職に配偶者がいない場合は別の人を選定できます)
この「坊守」の定義については、宗派内でもまだまだその解釈や制度などについて議論の余地や課題を残している問題です。
ちなみに浄土真宗本願寺派でも現在は「坊守は住職の妻」とする規定を削除しているようです。

ということで「坊守」ということについて縷々述べてきましたが、大分市組(おおいたしそ)の坊守会では年8回の学習会を行っています。
数年前より会所を全20ヶ寺が持ち回りしており、今回(6月9日)の学習会が当寺院で開催されました。
大分市組は女性住職がいませんので従来通り住職の奥さん方の会となっています。
この日は今年度(真宗大谷派では7月〜6月が1年度としている)最後の学習会でしたので、学習会終了後には会場を移し懇親昼食会が開かれました。
学習会の様子
昨年度、今年度と講師をされた村上秀麿師(田川組光明寺住職)
テキスト
この2年間は「親鸞書簡集」(法蔵館)を学習しました
大分市組では2年前より各寺院の坊守さんや若坊守さん(若院の奥さん)、法務員の奥さん、娘さんなどを対象とした「若手女性の会」が発足し定期的に学習会を行っています。

2011年6月9日木曜日

2011年 春季永代経法要

6月6日(月)〜8日(水)の3日間にわたり春の永代経法要をお勤めいたしました。
日時 6月6日(月)〜8日(水)
    昼/13:30〜
    夜/19:30〜(※8日は昼法要のみ)

山門横の掲示板
数年前までは4月下旬〜5月上旬に行っていましたが、3月の春季彼岸法要に近いということと、農業に携わるご門徒さんが減りいわゆる「農繁期」ということが関係なくなったということで近年は開催時期が下がってきました。
なので「春季」という表現が似つかわしくないのかもしれません。
「永代経法要」という法要の意味は、昨秋の投稿「秋季永代経法要」にて触れたので省きます。
勤行の様子
今回お話くださいました講師は、築上組・西教寺(豊前市)住職の小袋雅文師でした。
当寺院に講師としておみえになるのは2回目でしたが、前回ご出向いただいたのは10年以上も前になります。
しかし小袋先生は私とは約20年のお付き合いがありまして、日豊教区(福岡県東部と大分県の真宗大谷派寺院の集まり)の活動ではいつもご一緒させていただいており、月に何度も顔を合わせる仲であります。
講師の小袋雅文師
今年は宗祖親鸞聖人の750回御遠忌の年でありますが、丁度その年に未曽有の大災害となった「東日本大震災」が起こったことに何か大事な問いかけを感じるということでお話をいただきました。
宗祖の御遠忌ということで親鸞聖人のご生涯を順に追いながら3日間お話を進められました。
親鸞聖人のご生涯をとおし、聖人ご自身が苦悩という課題をいただいたからこそお念仏に生きる道を見出されたということが窺えるということでした。
親鸞聖人が自らを愚禿(愚か者)や非僧非俗(僧侶でも俗人でもない)と名乗られたことや、「悪人正機」(悪人こそが仏の救いのお目当て)について詳しくお話くださいました。
また、参詣者から真宗や仏教の教えや作法など日頃疑問に思われることについてもお応えいただきました。
非常に分かりやすくユーモアあふれるお話で、参詣者の方々も真剣に聴聞されていました。
御法話の様子
講師のユーモアあるお話に参詣者の方々も笑い顔です 
永代経の際に全ご門徒から集められる「御仏供米志」(仏前に供える仏飯のお米)
このように今でもお米を供えてくださる方々もいらっしゃいますが、
最近では財施で納めてくださる方の方が多くなりました
いずれにしても有り難いことです

2011年6月3日金曜日

2011 附小春季大運動会

5月31日(火)長女と二男の通う大分大学教育福祉科学部附属小学校の春季大運動会が行われました。
中学校門(左)、小学校門(右)
当初の予定では29日(日)に行われることになっていましたが、台風2号の影響で2日遅れの開催ということになりました。
附属小学校では一昨年までは秋季(9月)の開催でしたが、昨年度より春季大運動会ということで5月末の開催となっています。
近年の長引く夏の猛暑を考えると、ある意味この時期に開催する方が色々な面で好都合といえるかもしれません。
今年の大会テーマは「かけぬけろ!声かけあって 仲間とつくる運動会」でした。
大会テーマ
プログラム
1年生から6年生まで720名の全校生徒が各クラス毎の3チーム(1組=青組・2組=赤組・3組=白組)に分かれ熱戦を繰り広げました。
春季運動会は新年度になって間もない時期でもあり、特に1年生は新しい学校生活にやっと慣れたばかりということにも関わらず、テーマのとおり一致団結してみんなで作り上げた運動会でした。
会場全景
選手宣誓
「色の団結」(応援合戦)
青組の応援(下)
1年生
表現・「みがく子のパワフルたいそう〜げんきいっぱい、えがおいっぱい」(左)
団体・「タイヤ運び」(右)
2年生
表現・「生きる子府内戦紙Ⅱ」(左)
団体・「大玉運び」(右)
3年生
表現・「拓く子エイサーⅢ〜パラダイス〜」(左)
団体・「拓く子タイフーン」(右)
4年生
表現・「つくる子一輪車パフォーマンス2011」(左)
団体・「気持ちを合わせてかけぬけ」(右)
5年生表現・「光る子のフラッグダンス エピソードⅢ」(上)
6年生表現・「「歩」小ソーラン」(下)
5、6年生女子団体・「ムカデ競走」(左)
5、6年男子団体・「駄の原の乱2011」(右)
全校生徒団体「力を出し切ろう!附小綱」
チームリレー優勝は赤組
応援大賞は青組と白組が同点で優勝
最終結果
今年の優勝は赤組
小学校生活最後の運動会となった6年生の記念撮影
会場ではPTAが「東日本大震災」の義援金をお願いしました
運動会終了後は保護者が片付けを手伝ってくださいました
おかげで早く片付きました
平日でしかも月末という開催日とはなりましたが、家族をはじめ多くの方々が観戦に来られていました。
その多くの声援を背に、どの子どもたちもこれまでの練習の成果を最高のかたちで発揮できたと思います。
先生方には、連日熱心にご指導いただき本当に感謝しています。
子どもたちの頑張りに感動しました。