東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2011年1月11日火曜日

修正会

前々回のブログで、正月の初詣に対してのことを書きましたが、仏教では伝統的に正月には「修正会(しゅしょうえ)」という法要を厳修しています。
真宗の寺院でもほとんど、この「修正会」をお勤めしています。
歳末の「除夜の鐘」に引き続き、日付が変わり次第(1月1日の未明)お勤めするところもあるようですが、当寺院では元旦(1月1日の朝)にお勤めしています。
本来はご門徒さんに呼びかけてご門徒さんと一緒にお勤めしなければならないと思いますが、現在当寺院の「修正会」は寺族のみでお勤めしています。
実はその理由の一つに、「修正会」という法要に対していまひとつスッキリしないものがあるからです。

「修正会」はもともと中国に由来を見るらしいんですが、日本では奈良、平安時代ころから勤められるようになったようです。
当時からこの法要は、国家や社会の安泰や、家内安泰、無病息災、五穀豊穣など祈願や厄除け的な意味を持っていたようです。
そもそもこの時代における日本仏教は護国思想に役立つものとして支持されていました。
もちろん真宗では祈願、厄除け、祈祷のような類のお参りはいたしません。
したがって「修正会」という法要は相応しくないということになります。

しかし、一概にそのようにも断定できません。
「修正」とはもともと「悔過(けか)」という意味で大乗仏教でいう「懺悔」にあたります。
過去の過ちや悪業を仏の前で告白することが、自らを正しく修することにつながるということです。
真宗では行いませんが「修正会」と同様の意味の法要に「修二会(しゅにえ)」というものがあります。
旧暦の一月に行われるのが「修正会」、旧暦の二月に行われるのが「修二会」というらしいです。
有名な東大寺二月堂の「お水取り」がその「修二会」に当たる法要として知られています。
この法要の意味もやはり過去の罪業を深く懺悔するためです。
しかし結局は、この懺悔によってそれが功徳となって、鎮護国家、天下泰平、五穀豊穣につながるということです。
やっぱり、真宗的には似つかわしくない考え方ですが部分的には理解できます。
「懺悔」という視点です。
自らを省みること、見つめ直すこと、自らを明らかにすることは仏教の真髄であります。
そのことを通して本当に自分にとって何が大切な事なのかを正し修するという受け止めもできないことはありません。

もう一つ、次のような意味としても受け止められています。
真宗では毎朝のお勤め(晨朝勤行)で和讚の繰り読みをします。
親鸞聖人の作られた「三帖和讚」全353首を毎日6首ずつ順に読むということです。
しかし、毎年元日のお参りから「浄土和讃」の最初にリセットするんです。
これが「修正」ということから「修正会」として勤められているという考え方もあるようです。
そんなこんなで、非常に紛らわしい受け止めをされているのが実情です。
このように真宗の荘厳や行事、作法などにおいて、真宗以外の宗派のものが影響して儀礼化したものも少なくありません。
お盆などもその最たるものですが、それについてはまたお盆が近づいた頃に投稿いたします。
最近では「修正会」とは称さずに「元旦会」とか「元日法要」などといって、一年のはじめのお勤めとして真宗の教えに相応しいかたちでお勤めすることが主流となりつつあります。
まあ、あまり目くじらたてたりあげ足を取るようなことはよくないと思いますが、一応問題提起として投稿しました。

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