東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2010年10月24日日曜日

将美会

昨日10月23日「将美会」がありました。
「将美会」とは、華道家元池坊の中央研修学院特命教授をなさっておられる上津原将仁教授の研究会です。
池坊大分支部の有志の先生を中心に立ち上げた研究会で、上津原教授には月一度大分に御出向いただています。
上津原将仁教授
私は1987年に池坊でいけばなを始めましたので、今年で華道歴24年目となります。
当時大学2年生だった私は部活、サークル、バイトなど一切しておらずとてもヒマだったので、「せっかく京都にいるんだったらいけばなでもやっておこうか」というノリで池坊文化学院という学校に入学しました。
実はこういう軽いノリだけではなく、私の祖父と叔母が池坊の師範だったということがあり、いけばなに興味を示すことになる環境にあったということがありました。
祖父は私の生まれる前に亡くなっているんですが、その叔母は当時京都に在住してましたので、いろいろと入学にあたっての世話をしてくれました。
その叔母もこの年の秋に40歳の若さで急に亡くなり、我が家に続く池坊の歴史を一手に任されることになったのかなあと思った気憶があります。
池坊文化学院には当時夜間部というのがあり、週3回立華、生花、自由花の授業がありました。(今は学院の全てのコースで募集を行っていないようです)
昼は大学、夜は池坊と今考えると何の面白みもない京都での学生生活を送っていました。
結局その池坊文化学院を大学2年から4年までの3年間通いました。
池坊直営の学校でしかも週3回の授業なので、普通の町教室よりも免状取得の進度が早いんです。
単純に計算して3倍くらいの早さだと思います。
2年目には所謂師範級の免状をいただきました。
大学卒業後地元大分に帰ってからは当西福寺の御門徒でもあります故・秦喜代麿先生の弟子として池坊大分支部に入会しました。
支部会員の先生方は殆どが50代から70代の先生ばかりで、80代90代の先生も少なくありません。
当時まだ22歳だった私は完全に浮いていました。
ましてやこの世界は女性が殆どの世界で、当時支部会員約150名中に男性会員は6名しかいませんでしたが、今はもっと減って私を含め3名しかいません。
私が大分支部入会後数年して青年部ができました。
もう少し早く青年部ができていたら、そちらに入っていればよかったんだと思います。
青年部ができたときも青年部の方の殆どが私より年上の方ばかりでしたから・・・。

この「将美会」には大分支部で特にお世話になっている菅野先生(殆ど私の親先生みたいな存在です)にお誘いいただき10年くらい前に入らせていただきました。
やはり家元の教授に直接ご指導いただけるというのは非常に勉強になります。
特に上津原教授の作品は教授独特の世界観が表現されていて魅力があります。
正直申しまして上津原教授は一見かなり怖そうに見えますが、非常に優しい方です。(年配の先生に窺うと昔は相当怖かったらしいです)
ここ一年くらい都合がつかず「将美会」をお休みしていた私ですが、この日久々に出席させていただきました。
他の先生方の作品なども参考になり有意義な勉強をさせていただきました。
なかなか日程や時間が取りにくく出席できないことが多いんですが、今後もなるべく出席したいと思います。
今回の私の作品
花型:立華新風体
花材:コスモス、赤柳、玉シダ、かすみ草、ストロベリーフィールズ、クッカバラ、風船唐綿
花器:ガラス(高さ約20cm)
他の先生方の作品
花型は全て立華新風体
秋らしい作品ばかりでした

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