東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で犠牲に遭われた方々には衷心より哀悼の意を表し、被害に遭われた方々には心からお見舞
い申し上げます。

2010年10月27日水曜日

「命ゆくとき・・・最後は自宅で」

昨日、テレビ朝日報道ステーション」を視て、番組後半の特集のコーナーに考えさせられることがありました。
新聞のラテ欄には「”命ゆくとき・・・最後は自宅で”終末期医療医師のこだわり」とありました。
後で調べたんですが、この特集は大阪の朝日放送が2010年3月30日の深夜に「テレメンタリー」という番組で放送したもののようです。
大阪の「医療法人 旭医道会 中村クリニック」院長の中村俊紀医師(43歳)は往診の意義を重視し、仲間の医師10名ほどに呼びかけ地域の患者約280名を受け入れておられます。
中村医師の取り組みは、現在自宅で命を引き取る方が10%強しかいないという時代の中で、できるだけ住み慣れた我が家で家族とともに人生の最後を過ごしたいということへの支えとなっています。
患者と真剣に向き合い、患者の生活や患者の家族の様子などを考慮した治療の方法を模索していくことが往診の最大のメリットということです。
医者の中にもいろいろなスタンスで取り組む方がおられます。
最新の医療を駆使し病気を治したり、患者を一日でも長く生きれるようにすることが医療に関わる者の責務だと考える方も多いと思います。
一方、人間の「いのち」ということに向き合いながら精神的な面を考慮しながらの治療を大切にされる方もいます。
勿論インフォームド・コンセント(医者と患者との話し合いの中で治療方法を決めること)のうえでどのような医者を患者が求めるのかということが大切であります。
この放送の中で中村医師の取り組みに深い感銘をいただきました。
いかに中村医師が患者と真剣に向き合っているのか、あるいは「いのち」ということを真剣に見つめているのかテレビの映像を通してでも伺い知ることができました。
私は僧侶として少し情けない思いがしました。
仏教にもいろいろなスタイルでの取り組み方があります。
宗派によっても違いますし、僧侶個人個人によっても違います。
当然、仏教にも入口はいくつもあっていいと思います。
しかし、人間を見つめ「いのち」と向き合うということ抜きではどうしようもないことになると思います。
仏教でもキリスト教のホスピス同様に「ビハーラ」という取り組みがあります。
サンスクリット語の寺院、安住、休養などの意味を持ち、終末期医療患者に対して緩和ケアと癒しのサポートをする活動です。
私も曲がりなりに色々な場所、機会でビハーラに学ぶことがありました。
特に大分は、佐藤第二病院の田畑正久先生というビハーラ専門の先生がいらっしゃいますし、我が宗門にも同朋大学の田代俊孝先生という日本におけるビハーラ研究の第一人者がおられます。
私はこれまで何度となく、両先生のお話をお聞きしたり、本を読ませていただく機会がありました。
しかし、現場の雰囲気が見えていなかったというか、想像ができていなかったんだろうと思いますが、昨日の放送を見て「私は学んだつもりになっていたんだなあ」ということが知らされました。
終末期医療患者のところへ出向いて行って何かの活動を始めようという飛躍的な意味でありません。
普段御門徒さんのお宅へ伺い法務を務めさせていただいていますが、これはある意味往診のようなものです。
そこでいかに真剣に御門徒さんと向き合い、生きることやいのちということについて語り合うことができていたのかを問われたような気がしました。
とにかく「体でやっている」ことの強さや魅力は大きいと思います。
中村医師に大事なことを教えられた放送でした。

せっかくなんで、昨日の放送のオリジナル番組だったテレメンタリー「命ゆくとき」の映像がありましたのでご覧ください。




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